投稿者:陽光メール 投稿日:2016年 4月 2日(土)00時02分22秒   通報
掲示板でよく目にすることであるが、学会と言うところは、一旦メンバーを排除すると、その人のあることないことを中傷誹謗し始める。キャラクター・アサシネーション(人の名声の毀損行為)である。メンバーとの接触を断たせる懸命の努力をする。しばらく島流しにして放置してツンボ桟敷にしておけばおけば相手の心も変わるであろう、という考えかもしれない。

また、婦人部Mさん(この人はコロラド州からこちらに3,4年前頃に引っ越してきた人であまり詳しくは知らない人である)と婦人部Yさん(この人はハワイ州から2年ぐらい前に越して来た人であるが、支部も違うので面識がない)の二人が私の事で、ご苦労なことに、私が知っているいろいろメンバーの家庭を訪問してるようだ。私を知らない二人が長き間私を知っているメンバーを訪問しているのだ。よく分からない話である。

私へは何も連絡をしないようにとおのおののメンバーに確認をしている様子なのである。あ~、情けない。これが、一人の人を大切にする人間主義の学会メンバーなのか。池田先生の指導とは真逆の方向に走っているのだ。本人はどうもそれに気が付いてないらしい。人のゴシップを広めるのではなく、御書を学び先生の指導を胸に学び、信行学を真面目に実践し、自身の人間革命に精進してもらいたいものである。

もし私の事で知りたければ、個人でも複数でも構わないが、私を会館に招待して質問会を開いて私を責めればいいではないか。だけど、その勇気もない。陰でコソコソとひそひそ話をして人の悪い噂を流して行く。悲しいかな、村八分とはそういうことである。それを一閻浮提最高の教えである日蓮大聖人の仏法を信行している学会員がそのような醜い事を率先して行動しているのだ。あ~、誠に地に落ちたものだ。

しかし、仏法は「時」を最大に重んじる。池田先生の最終段階において、先生が本当に願っているのは勇気ある一人立つ学会員で「悪いことを悪い」とはっきり言えるメンバーではないのであろうか。「創価学会の発迹顕本を頼む」と言われている。我々は先生から直々に頼まれているのだ。師匠から頼まれれば、「はい、承知しました」と答えるのが弟子の勤めである。

今の「時」は、仏法の歴史始まって以来の一大事の「時」と感じる。創価学会が腐敗すれば、日蓮大聖人のご遺明である広宣流布の流れが止まってしまうのだ。もし学会が邪教になって流布したとしても、それは何の意味も持たなくなる。大聖人の精神、創価三代の師匠の指導を正しく受け継ぐことによってはじめて大聖人の仏法が現代に生きてくるのだ。

また、正義の声を大きく叫び、100年後、500年後,1000年後の未来の地涌の菩薩のためにも良き「前例」・「模範」を作らなければならないのだ。でなければ、未来の地涌の菩薩に笑われることになる。今が熱原なのだ。信心2年弱の無名の農民達が命を賭けたように、私達も創価三代の思想を正しく伝えるためにその闘いをしなければならないのだ。まさに私達はその「時」に遭遇しているのだ。身に余る福運と誉なのだ。