2016年3月23日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 3月23日(水)08時32分51秒 【牧口初代会長「聖職者は宗祖の原典を裏切る」】 先日、教育部の有志の方々が、牧口先生の残された「宝の言葉」の数々を整理して届けてくださった。 その一つを紹介したいが、まず前置きとして、有名な(ヨーロッパ・中近東の)ことわざにこうある。「魚は頭から腐る」と。 「頭」から腐る──社会も団体も、会社も国も、腐る時はすべて「頭」から、すなわち上から腐る。だから私も幹部に厳しい。リーダーは厳格に自己を律さねばならない。何があっても腐ってはならない。 牧口先生はこう述べておられる。わかりやすく趣旨を紹介したい。 ″教祖または宗祖は、時代の必要に応じて出現し、それぞれ教えを説いて、みずからの生活などは少しも顧みることがない。 しかし、その教えが広まってくると、先覚者の精神は失われ、宗教によって生活の糧を得、金をもうける「職業宗教家」(いわゆる宗教屋)が占領してしまう。 彼らは民衆が宗教を正しく評価する力に乏しいことに、つけこむのである。そして時代が変化して、その宗教が必要でなくなり、さらに高級な宗教でなければならぬ時代となっても、彼らは決してこの変化を認めようとしない。 それどころか、彼らは人を救おうとした宗祖とは反対に、人に救われようという自分本位(エゴ)の見地から、あらゆる奸策(ずる賢い策略)を用いて、自分たちより高級な宗教に反対するのである″と。(「創価教育法の科学的超宗教的実験証明」、『牧口常三郎全集』第八巻所収) 聖職者は腐敗する。それが歴史の常である。 牧口先生はまた、宗門の「自分本位」の保身の体質を深く嘆いておられた。その犠牲となられたといってよい。 アメリカのハーバード大学からは、再度の講演の要請をいただいているが、先日、私はハーバード大学「世界宗教研究センター」の若き所長サリバン博士と語り合った(三月二十七日、「二十一世紀と宗教」をテーマに)。 その折の話も、牧口先生のこの洞察と一致する。 池田大作全集ス82巻 第六十五回本部幹部会、配達員大会、東京合同総会 (1993年4月20日) Tweet