投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 2月29日(月)08時45分46秒

■迫害は″社会悪″のイメージづくりから

竜の口の法難にあって、なんとか大聖人を亡き者にし、正法流布の教団を破壊しようとした″敵″には、次のような特徴があった。

まず第一に、「法門」では勝負せず、「社会的に」葬ろうとした。まともに法門のうえの勝負をしたら、とてもかなわないからである。

第二に、そのために「社会悪」のイメージづくりが必要であった。そのために、さまざまな策をこらした。

その一つとして、放火や殺人をみずから犯し、その罪を大聖人門下に押しつけることまでした。これが第三の手口である。

第四には、いったん、そうしたイメージづくりが成功すれば、あとは自分が手を下さなくとも、何か起こるたびに″自動的に″大聖人門下のしわざと思わせることができる、とたくらんだ。

次元は異なるが、西洋にあってはユダヤ人が、これと同様のやり方でいつも迫害されている。何か不都合があると、決まって「ユダヤ人のせいだ!」とされた。

責任をユダヤ人に押しつけることで、自分たちの不満や不安を解消しようとしたのである。そうした迫害の歴史はまた、ユダヤ人の中から、世界的な偉大な人物を生む土壌となっている。

そして第五には、「事実」によってではなく、こうしてつくられた「イメージ」によつて判断され、迫害が正当化されていく。それが、この「種種御振舞御書」で仰せの「さもあるらん」との言葉に端的に表れていると拝される。

「きっと、そうにちがいない」「さも、ありそうなことだ」「そういうこともあるだろう」との思いこみ、決めつけ――こんな、あいまいな話はない。

それが事実かどうかは、実際によく調べればわかることである。また冷静に考えれば、師匠であられる大聖人の命が最も危ない時に、人に油を注ぐような悪事を、門下がわざわざ働くはずがない。

そうした実証も道理も無視して、正義の大聖人とその門下への迫害が行われた。

「さもあるらん」と思わせる「イメージ戦略」――こうして形成された″時の勢い″や″空気″によって、理不尽な迫害が、当然であるかのごとく推し進められていったのである。

~池田大作全集78巻
’91県・区夏季研修、第二回長野県総会 (1991年8月4日)~