投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2016年 2月23日(火)08時25分57秒 編集済
インドの創価池田女子大学を創立した非学会員のクマナン博士が自分の大学の卒業生をイケディアンと呼んでいたのが始まりです。
そのエピソードを本部幹部会の席上にて披露されたことがありました。

学会内では一部の間でやや異なる意味に使われていたようです。池田原理主義者、池田教の意味として。

つまり、池田先生を師匠としてない輩が皮肉に使っていたと言うお粗末な話しです。

イケディアンと呼ばれたら言ってやりましょう。

あなたの師匠は誰ですか?
池田先生の指導の通りにやっていくのが正しいのではないのですか?と。

学会員以外の優れた世界の知識人に池田先生を師匠と慕う方がいます。私達は世界のイケディアンと連携しながら【池田先生の弟子=イケディアン】として生きていけばよいのです。

査問の場でイケディアンとしか言えないのは自らが池田先生の指導通りでないことを証明しています。

日蓮大聖人の御書にも門下の弾圧の経緯を書いているものがあります。おそらく鎌倉時代をそのままトレースしている事態なのでしょう。だとすれば会員を虐めている側に仏罰は現前と降ります。そのことを確信すれば会員を虐めている側は哀れだとしか言えないですね。