投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月24日(日)09時24分56秒   通報 編集済
日寛が“六巻抄”などで批判的に取り上げた

一致派の身延派に属する「日朝(にっちょう)」「日暁(にっきょう)」、
六条門流の「日澄(にっちょう)」、
不受不施派(ふじゅふせは)の「日遵(にちじゅん)」「日講(にっこう)」、
勝劣派では八品派の「日忠(にっちゅう)」、
富士門流では京都要法寺の「日辰(にっしん)」「日賙(にっしゅう)」

など、日蓮宗各派の論師の著作が日蓮門下に流通している状況をみて、

大石寺門流の「三大秘法義」を護るためには、
大石寺独自の教義を理論的に体系付け、褒め讃える必要性を感じていたからだと思います。

だからこそ三大秘法義を理論化し、対外的論議に絶え得る「門流教学」を構築したのです。
この時代の日蓮仏教界にみられる宗派横断的な教学書の流通が、日寛に「唯授一人法門」の理論化をうながしたといえます。

とくに要法寺の邪義を破るために「末法相応抄(六巻抄)」を著し、
要法寺日辰(にっしん)の主張をとりあげて、上巻の冒頭では法華経二十八品を読誦することの誤りを指摘し、
下巻の冒頭では仏像を造立して本尊とすることの誤りを厳しく打ち破っています。

要法寺出身の歴代貫首(大石寺法主)によって持ち込まれた「大石寺教学の邪義」を、
日寛が完全に打ち破ったことによって、日興門流・富士大石寺は浄化され、蘇生することができたといえます。

日寛教学は、大聖人滅後、約四百年の間に発生した日蓮宗各派の邪義をことごとく打ち破り、
富士門流に伝わる日蓮日興の正義を内外に向かって宣揚した「破邪顕正」の教学です。

日寛は六巻抄を弟子に授けた時に

「この書、六巻の師子王があれば、国中の諸宗諸門の狐兎(こと ※輩の意)が、
一党となって当山を襲ってきても、少しも驚き恐れることはないから秘蔵しておきなさい」

と述べたことは有名です。また日寛は

「この中に大事なことを示したのは、法をして久住させるためである」(三重秘伝抄)、
「これを著したのは広宣流布のためである」(依義判文抄)

と述べ、日蓮大聖人の正法を弘通して、人々を救うための教学であり、
広宣流布をするための教学であることを強調しています。

さらにその著作の中で、大聖人を“末法の御本仏”と仰ぎ、
一閻浮提総与の本尊を根本として信仰すべきことを明らかにして「信・行・学」のあり方を明確に指し示しています。