投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月11日(月)14時27分29秒   通報
その開目抄の冒頭で、大聖人は全人類が尊敬すべきものとして
「主師親の三徳」がテーマとして示され、中国の思想(儒教・道教)、インドの外道、
内道の仏教の三つにそれぞれ多くの人々から“主師親”として尊敬されている存在を挙げられます。

そして、それぞれの宗教がいかなる「法」で、どのような「生き方」を教えているのかを問い
“主師親”を基軸にして「生命の因果」という根本的な視点に立って検証していきました。

五重の相対という法理は、人間の幸・不幸という「生命の因果」を
それぞれの思想・宗教がどのように説いているかという観点から判別したものです。

つまり、その「教え」が人間の幸・不幸の「原因と結果」をどれだけ深く根底まで掘り下げ、
これをどう見極めるかによって、思想・宗教の高低浅深を問うものです。

御書には「譬えば病の起りを知らざる人の病を治せば弥よ病は倍増すべし」(九二一頁)とあります。

医者が病気を治そうとする時には、その病気の原因をよく見極めて治療しなければ、かえって病気を悪化させることがあります。

それと同様に、苦難や不幸を解決するためには、その根本原因を見極めて解決に当たらなければ不幸を助長しかねません。

不幸の原因とその結果を明確にすることは、宗教・思想にとってもっとも肝要なことです。
つまり、その宗教(教えの根本)が説く「生命の因果」の深さは、その宗教が前提とする「悟りの法門」の深さに関係しているのです。

大聖人は開目抄のなかで諸宗教・思想の「生命の因果」の立て方に種々の違いがあることを述べられ、
その高低浅低を“五重の相対”によって示されていきます。

その過程で「成仏の因果」、つまり人々を救う要法として“事の一念三千”の法門を明かされていきました。