2014年12月18日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2014年12月18日(木)02時33分10秒 のんびり様より創価学会の中で言われる責任職の 「責任」について問題提起がありましたので、私なりの意見を述べさせていただきます。 学会の役職は、会員に対してどのような責任があるか 私は「一人でも多くの会員に功徳を受けさせること」であると考えます 正確に言うと、責任というよりもどのような一念で役職を全うしているか これが重要だと思うのです 根本的な考えとして、会員であろうと、信心するしないは自由です どんなにこちらが誠意を尽くしても、やらない人はやらないでしょう 最後やるかやらないかは本人の選択であり、そこに介入することは誰にもできません だから「一人でも多く」というのがポイントになります すべての会員というのは理想ですが実際には不可能でしょう そして同時に、組織は奪功徳の働きもするので、それとの闘いにもなります 会員を手段にするものとは闘い、排除していくのが役職者の責任でしょう 組織においては、官僚主義や成果主義、傲慢な幹部等が主な奪功徳の存在となります いかに会員に功徳を受けてもらうかを祈り行動していくことが役職者の責任であり、 それがなくなったら結局は会員を利用するような組織へと変わっていくのではないでしょうか 功徳よりも数字上の結果を会員に求めはじめると、組織はカオスとなる 所謂「なんのため」がわからなくなる 会員が功徳を受ければ受けるほど、広宣流布は進む 功徳が溢れれば、組織は活性化し、人材も増えていくでしょう まさに誰も損をしない組織 私のところの組織をみると、数字上の結果が出ても、 功徳の体験がそれに比例していないケースが目立ちます これではつまらないし、景気が悪すぎですね いかに功徳が溢れる組織をつくれるか それが役職者の責任(使命)であると私は考えます うらら様 実物の私はそこそこの毒舌ですし、ハジケリストですね。ここでは猫をかぶっています(笑) うらら様は、褒め上手であり、全体の調整もうまく、安心感を与えるので、組織には不可欠な人物かと思います。 Tweet