投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月20日(火)08時58分29秒   通報
§嘱累品§
虚空会 —- 「付嘱の儀式」の完成
■ 「ご安心ください!」と弟子たちの誓い

須田: これからは「嘱累品」(第二十二章)です。よろしくお願いします。

池田名誉会長: 嘱累品は、「付嘱」の章です。「付嘱」とは「後継」です。「後継」とは「師弟」です。ゆえに、嘱累品とは「後継品」であり、「師弟品」とも言える。
末法に広宣流布していくための「広宣流布の師弟」品です。戸田先生も、嘱累品を大切に感じておられた。

斉藤: 嘱累の「嘱」とは「まかせる」「託す」という意味です。

遠藤: 今でも「嘱託」などと言いますね。

斉藤: 「累」には「わずらわす」「面倒をかける」という意味があります。ですから、嘱累とは「ご苦労だが、私に代わって、正法を人類に弘めてくれ」と弟子に託すことです。

遠藤: まさに「後継」品であり、「師弟」品ですね。

名誉会長: 弟子の側から言えば、「私が全部、苦労を担っていきます」というのが「嘱累」です。それで師弟相対になる。師弟というのは、厳粛なものです。師の一言でも、どれだけ真剣に受けとめているか。「すべて実行しよう」と受けとめるのが弟子です。
師匠の「口まね」をするのが弟子なのではない。「実行」こそ「弟子」の証です。
話は飛躍するようだが、ある時、戸田先生が大阪の花園旅館という宿舎で、急に、こんなことを言われた。 「今、わしは『今日、死んだらどうしようか』『今日、内閣総理大臣になったらどうしようか』と思索している」と。
真剣な顔で言われた。朝、早かった。ふつうなら「朝ご飯、まだかな」とか(笑い)、「もうちょっと、寝ていたいな」とか(笑い)、そんなところでしょう。
しかし、先生は真剣に思索しておられた。
私も、それ以来、先生のお言葉を糧にして、自分なりに思索したものです。

斉藤: “今日、死ぬ”というのは“臨終只今にあり”ということですね。

名誉会長: 自分は、今、死んでも成仏するに決まっている —- そう言いきれる信心をしていきなさいということです。もちろん、広宣流布へ向かって、今世の使命の達成に向かって、「生きて生き抜かなければ」ならない。
そのうえで、いつ死んだとしても、自分の信心には悔いがない、自分はやりきった、今死んでも一生成仏できるに決まっている、そう確信できる —- うぬぼれは、いけないけれども —- そういう信心をしていきなさいということだと、私は受けけとめた。
一生成仏 —- 何があつても楽しいという、最高の「歓喜の中の大歓喜」は信心以外にない。広宣流布へ、だれが見ていようがいまいが、戦いきる以外に味わえない。そういう信心を、今、自分はしているか。それを、じっと静かに見つめてみなさいということです。
人間の一日には“八億四千の念々”があると言われている。(御書p471)
心は、ぱっ、ぱっ、ぱっ、ぱっと、いつも変わる。
八億四千というのは、当時の「億」は「十万」の意味とも言われているから、「八十万四千」となるかもしれない。いずれにしても、すごい変化、変化です。
そのうちの、どれだけ自分は広宣流布のことを思ったか、御本尊のことを思ったか、学会のことを、同志のことを思ったか、行動したか、行動しなかったか。
その差し引き、プラスマイナスの総合点で、自分の境涯が決まってくる。「心こそ大切なれ」です。信心は形式ではない。

遠藤: 「生ぬるい、形式だけの信心をするな! 臨終只今の信心をせよ!」ということですね。

名誉会長: もうひとつの「今日、総理大臣になったら」というのは、門下の立場で言えば、おのおのが、おのおのの世界の「柱」として、思う存分に働ける実力をつけよ、ということと言ってよい。
仏法は「宗教のための宗教」ではない。社会のため、現実の人生のための信仰です。社会と人生の軌道を、希望の方向へ、希望の方向へと、ぐーっと引っ張っていける、その活力源が信仰です。
だから、社会のあらゆる分野の指導者として、「さすがは信仰者だ」といわれる活躍と結果を示さなければならない。また広宣流布の組織のリーダーとして、「ああ、あの人がいれば、皆、元気になる」と慕われる人にならねばならない。
要するに、広宣流布の広大な戦野にあって、「この部署は、まかせておいてください。どうかご安心ください!」と言える自分自身であるかどうかを反省せよ、と受けとめればよいと思う。このように、一つは「信心」で、一つは「自分の位置」をよく見つめて、自分を磨ききっていきなさい、ということです。
戸田先生は、本当に鋭い、不思議な先生だった。

斉藤: この戸田先生の一言を、まさに「実行」してこられたのが、池田先生だと思います。世界の指導者との対話にしても、民間人として、これほど数多く、意義ある対話を重ねてこられたことに、心ある人は皆、驚嘆しています。

須田: 世界の大学からの名誉博士・名誉教授が、六十近いのも信じられないことです。(二〇〇一年一月現在、九十九)

名誉会長: 私は牧口先生、戸田先生にいつも捧げるつもりで頂戴しています。
牧口先生、戸田先生は教育者であった。教育者であって、広布に殉じられた。その福運が私に流れ、続いているのです。初代の福運が二代に行き、二代の福運が三代に行く。これが師弟です。これが人間の究極の法則です。
今度は、私の福運が門下に行くのだし、私はいつも「福運を分けてあげたい」という気持ちです。戸田先生もそうであった。