投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月19日(月)18時11分15秒   通報
■ 「心」がどうかで全ては決まる!

斉藤: 池田先生は、世界の大学からの名誉博士号(名誉教授称号を含む)だけでも六十近いわけですが、ふつうでは考えられないことです。<一九九八年八月現在。二〇〇一年一月現在、九十九>

名誉会長: 全世界の学会の同志の福徳の象徴として、受けとめてもらいたい。
私は大学に行けなかった。青春を戸田先生に捧げました。先生の事業が失敗したゆえに、私は大学へ行く予定を変更した。「先生、何も心配なさらないでください。私が働いて、全部、立派に立て直します。どうか、ご安心ください」と言いました。言った通りに、全部やりました。どん底であった創価学会を、世界の創価学会にしました。戸田先生、牧口先生を世界の偉人として宣揚しました。
戸田先生を守ることが、広宣流布を守ることであり、仏法を守ることであった。それ以外に道はなかった。自分中心ではなく、戸田先生中心に私は生き抜き、尽くしきった。「師弟の道」に私は徹しました。
先生を支えるために、喜んで進学まで断念したその「心」が今、世界の大学の名誉博士号となっていると私は信じている。因果の理法は、厳然としています。

須田: 後世永遠に残る仏法証明のドラマだと思います。

名誉会長: 「心」です。徳勝童子は、砂の餅を釈尊に供養した「心」によって、アショーカ大王と生まれたのです。

遠藤: 先ほど“飾らない”というお話がありましたが、「心」がどうか、本当に「人間としての力」があるかどうかですね。

名誉会長: 日蓮大聖人が社会の“最底辺”の庶民としてお生まれになった意義を、よくよく考えなければならない。
「世情に応ずる」随他意の仏法を説くのであれば、貴族とか名家に生まれたほうがよかったかもしれない。しかし「民が子」(御書p1332)として、お生まれになった。あれほどの大難が続いた理由のひとつは、大聖人が貴族の家のご出身でなかったことがあるでしよう。

遠藤: 大聖人は御自身のことを「日蓮今生には貧窮下賎の者と生れ旃陀羅が家より出たり」(御書p958)と仰せです。

名誉会長: 逆縁の仏縁を結ぶためにも、あえて大難を受け、大難を忍ばれた。その大慈大悲を忘れて、門下生までもが大聖人を小バカにした。
「日蓮を信ずるやうなりし者どもが日蓮がかくなれば疑ををこして法華経をすつるのみならずかへりて日蓮を教訓して我賢しと思はん僻人等」(御書p960)がいたのです。
<「日蓮を信じているようだった者どもが、日蓮がこのように(流罪の身に)なったら、疑いを起こして、法華経を捨てるだけでなく、かえって日蓮を教訓して、「自分のほうが賢い」と思う、心の曲がった人間ども」>
なさけないことだ。師弟の道をなくしたら、仏法はもはやない。

斉藤: そういう増上慢の人間の末路を、こう仰せです。
「念仏者よりも久く阿鼻地獄にあらん事不便とも申す計りなし」(御書p960) <「念仏者よりも長く阿鼻地獄に堕ちているであろうことは不憫としか言いようがない」>
これは現在も未来も変わらぬ法則です。

名誉会長: ともあれ、凡夫だからこそ凡夫の心がわかる。庶民だからこそ庶民の心がわかる。日蓮大聖人は、あえて一番、虐げられた庶民 —- 「旃陀羅が子」として誕生なされたのです。
この夏で終戦から五十三年になる。あの沖縄戦で、こんな話があった。それは“沖縄にいた日本軍の将校や兵士の多くが、沖縄の人々への差別意識をもっていた。しかし、アイヌ出身の兵士だけは、そうではなかった”というのです。

斉藤: 私も「日本軍は、自分たちのわからない沖縄の言葉で話している県民を、スパイ呼ばわりして殺した」とか、信じられない、ひどい話を聞いたことがあります.

名誉会長: アイヌ民族の兵士は、違った。どうして違ったのか。それは自分たちも差別を受けていたからだと思う。
軍隊のなかでも差別され、虐待もあったようだ。だからでしょう、沖縄の人々に対して親切であったし、たくさんの住民の命を救ったと伝えられています。崇高です。

須田: 素晴らしい話ですね。水遠に「民衆の側に立つ」、永遠に「虐げられている人の側に立つ」 —- これが本当の人間性だと思います。