投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年11月 1日(日)13時53分29秒   通報

まず、最初の「此の経は法華経をば大海に譬へられて候」とありますが、
これは法華経・薬王品にある「十喩(十の譬え)」の一つのことです。

これは、法華経が諸経の王(法華経第一)であることを説くために十の譬えで表現したものです。

この十の譬えを具体的にいうと、

①第一喩・水喩「諸水の中に海第一なるが如く」
②第二喩・山喩「衆山の中に須弥山第一なるが如く」
③第三喩・衆星喩「衆星の中に月天子第一なるが如く」
④第四喩・日光喩「日天子の諸闇を除くが如く」
⑤第五喩・輪王喩「諸王の中に転輪聖王第一なるが如く」
⑥第六喩・帝釈喩「三十三天の中に帝釈天第一なるが如く」
⑦第七喩・梵王喩「大梵天王の一切衆生の父なるが如く」
⑧第八喩・四果辟支仏喩「一切凡夫の中に五仏子第一なるが如く」
⑨第九喩・菩薩喩「一切の無学の中に菩薩第一なるが如く」
⑩第十喩・仏喩「仏の諸法の王なるが如く」

となります。

ちなみに、天台大師はこの十喩を通して「経」の勝劣を解釈し、
伝教大師は「宗」の勝劣をこの十喩で解釈しました。

この相違の理由は、天台と伝教では破折の対象が違うからです。

天台の破折の対象は南三北七です。
つまり、法雲ら「涅槃学派・成実学派・華厳学派」の提唱する教判に対して、
法華経こそが仏教哲理の最高峰と位置付けることにその目的があったのです。

一方、伝教の破折の対象は南都六宗です。
つまり、「宗(衆)」の存在自体が対象であり、他宗をしのいで伝教の
「天台法華宗」を上に立たせ、国家公認にするのがその目的だったのです。

しかし、基本的には天台・伝教ともに「法華経最第一」という薬王品の所説の真意に忠実に解釈されていて、
その内容も⑧(第八喩)の持経者第一に関する解説の有無を除けば大差はありません。

では、大聖人はこの十喩をどのように読み、どのように解釈したのでしょうか。

それを見ていきたいと思います。