投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月22日(木)13時15分54秒   通報

大聖人は、仏の別名を「世雄」といい、王の別名を「自在」と述べています。

法華経・化城喩品には
「世雄両足尊、唯・願わくは法を演説し、大慈悲の力をもって、苦悩の衆生を度したまえ」
(妙法蓮華経二八六頁)とあります。

「世」とは現実社会のことをいい、「雄」とは力であり、リードしていく人のことだと思います。

世雄とは、現実社会で苦悩に沈む衆生を大慈悲の力をもって
救っていく人――大聖人は、これを実践している人が「仏」だと説いています。

次に、王は「自在」ということですが、王とは権力者の異名であることは疑う余地はないと思います。

雑阿含経には「自在、王者の力なり」(大正二巻一八八頁)と説かれています。

束縛や障りがなく、自分の思うがままに人々を動かし行動できる――これが「王をば自在となづけたり」だと思います。

ちなみに、これは余談ですが、

生命の十界のカテゴリーの中で「第六天の魔王」のいる場所は天界です。

第六天の魔王は、欲望の世界に生きる魔王なのですが、
天界には「六欲天」という六つの段階があり、その最上位が「第六天」です。

欲望渦巻く社会の中で、他の人間を自分の意のままに支配する命は、
権力欲の頂点に立つ第六天の生命であり、第六天の別名が「化他自在天」とも「天魔波旬(波旬=魔王)」とも言います。

仏本行集経巻二十六には
「此の欲界の内は、是れ彼の魔王波旬、主と為り、自在に統領す」(大正三巻七七四頁)とあります。

善の心を持つ権力者が世に立てば、聖人・賢人を守り、民衆を慈しむ世の中になりますが、
第六天の心に支配された権力者が世に立てば、聖人・賢人の道理は通らず、自分に従わない善人は迫害される世の中になります。

この悪王が出現し悪僧と結託して、正法を破ろうとした時に、
師子王の心を持って抵抗したのが日蓮大聖人であり、創価三代の師匠です。

・・・・つづく。