投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年10月29日(木)22時59分5秒   通報

・「従藍而青」の弟子への道へ入った者
・創価の邪教化を阻止する者
・創価学会を池田先生の軌道に戻すために戦い抜く者

スーパー摧邪人様の考える「真の弟子」の定義はこの三点ですね。どれも重要であり、示唆に富んでいると思います。従藍而青については、戸田先生は牧口先生を、池田先生は戸田先生を遥かにしのぐ戦いをされました。戸田先生に関しては、75万世帯という圧倒的な折伏の戦いによって、事実上の従藍而青であり、池田先生に関しては、戸田先生の構想をすべて実現し、世界100ヵ国以上に妙法を弘めました。もちろん師という大地が根元であり、弟子の功績は即、師の功績であることは言うまでもありませんが、創価三代の師弟とは、現実に従藍而青を体現した真の師弟です。

師の意志を受け継ぎ、師が驚嘆するほどの戦いを展開してこそ、現実の上での従藍而青です。そのためには、自身の使命を自覚し、果たし抜くことが重要です。人にはそれぞれ役割があります。自分自身にしか成し遂げられない何かが存在し、誰もが師を驚嘆させることのできるだけの使命があります。従藍而青とは、「師を驚嘆させる何かを成せ」ということだと思います。自分自身の使命に生き切ることこそが、従藍而青の道であり、それは自分の足下にあるのではないでしょうか。

次に、創価の邪教化を阻止する戦いと、池田先生の軌道に創価学会を戻す戦いをすることが挙げられていますが、この二つの共通点は、「師を大事にする」ということだと思います。仏法上最高の恩は、「師恩」であり、人間性の究極です。師への感謝を忘れたとき、人は道を踏み外し、増上慢となっていきます。師恩を感じ、報いていこうという心ほど尊いものはありません。この逆が、忘恩の輩であり、反逆者の共通の命です。54年はまさに、師恩を仇で返した歴史と言っても過言ではないでしょう。また、教義変更に怒りを感じている人の根底にあるのは、師の栄光がひっくり返り、蔑にされることへの憤りであり、師恩を感じていればいるほど、「ふざけるな」という想いになるのではないでしょうか。

師の指導を守り、実践していくことが、師恩に報いることであり、真の弟子の生き方でしょう。忘恩の弟子になるなかれであり、それは弟子失格を意味します。創価学会をダメにするのは忘恩の弟子であり、それが最高幹部であるのなら、五老僧のようになってしまいます。権限を握っている人間が忘恩の弟子であったのなら、これほど危険なことはない。内部の悪との戦いとは、師恩を忘れた、忘恩の弟子との壮絶な戦いということです。こういう輩と対峙するのであれば、自分自身が師恩に報いる人生を歩まなければなりません。

自身の使命に生き切り、師を驚嘆させる従藍而青の道と、師恩に報いる道、即ち、忘恩の弟子と戦うこと。これが真の弟子の生き方と言ってもいいのではないでしょうか。そのためには、まずは「真の弟子になる」という誓願の題目が大事になると思います。祈りは意識となり、意識は行動を生む。故に、祈りにすべてが含まれる。これが方程式というものでしょう。