投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月10日(土)19時40分36秒   通報
如来神力品から
仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以っての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう 是の経を嘱累せんが故に 受持の者を讃美すること 無量劫の中に於いてすとも 猶故尽くすこと能わじ 是の人の功徳は 無辺にして窮りあること無けん (法華経582p)

通解
(釈尊は上行らの菩薩に偈を説いて告げる。仏は仏道を求める者のために十神力を現じられる)。仏の最後に、この法華経を(難に耐えて)持つ者がいる故に、諸仏が皆歓喜して、無量の神力を現じられるのである。この法華経を付嘱するために、法華経を受持する者を讃えることは、無量劫の時を経てもなお讃え尽くすことはできない。この持経者の功徳は、無辺であり、限りかない。
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名誉会長: 飛躍した言い方になるが、緒論から言えば、人法一箇の南無妙法蓮華経如来の功徳を賛嘆しているのです。「久遠実成の釈尊」も「上行菩薩」も宇宙の根本仏であられる南無妙法蓮華経如来の「迹(影)」です。
南無妙法蓮華経如来は、無始無終の仏であり、宇宙生命そのものであり、三世十方の一切の諸仏の根源であり、十界本有、十界互具の御当体です。その十界のうちの「仏界」を、法華経では「久遠実成の釈尊」と「多宝如来」として説き、南無妙法蓮華経如来の「九界」を「上行菩薩」等として説いたのです。
同じ根本仏の己心の仏であり菩薩です。だから、ここでは南無妙法蓮華経如来を賛嘆してもしきれないと言っていると拝してよい。南無妙法蓮華経如来は、諸仏を生んだ「根源の師」ですから、師匠を讃えていることでもある。

須田: そうしますと、大宇宙を揺るがす神力をもってしても、讃えきれないのも、道理です。「如来の神力」といっても、「神力」は用(働き)、「如来」は体(本体)であり、その如来を生んだ根源が、南無妙法蓮華経如来なのですから。

名誉会長: しかも、宇宙と一体の仏であるゆえに、私ども一切衆生もまた南無妙法蓮華経如来の一部である。我々十界の衆生の生命の実相が南無妙法蓮華経如来なのです。これを教えてくださったのが、日蓮大聖人です。教えてくださったのだから「教主」です。ゆえに、日蓮大聖人の仰せの通りに題目を唱えれば、その声は全宇宙に轟く。
「小さな声であっても、優秀なマイクを使えば、大きな声になる」ように、私ども凡夫の一念を南無妙法蓮華経に込めて放てば、宇宙の一切が揺り動かされていく。
「祈りとして叶わざるなく、罪として滅せざるなく、福として来らざるなく、理として顕れざるなきなり」とある通りです。<日寛上人「観心本尊抄文段」>
日蓮大聖人は、題目を唱える人は、「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」(御書p1443)と仰せだ。なみなみならない御言葉です。妙法は「諸仏の根源」であるゆえに、そう断言されているのです。だから、絶対に、「祈り」はあきらめてはならない。
「あひかまへて御信心を出し此の御本尊に祈念せしめ給へ、何事か成就せざるべき」(御書p1124)です。「湿れる木より火を出し乾ける土より水を儲けんが如く」(御書p1132)祈ることです。

遠藤: 「祈ってはいるのですが、なかなか叶わない」という人には —- 。

名誉会長: 大事なことは、日寛上人が仰せのように、題目には「信の題目」と「行の題目」があることだ。同じように題目を唱えていても —- 唱えるのは「行の題目」に当たる —- 御本尊の功徳を「確信」しているかどうかで、結果は変わってくる。
この「信の題目」が大切なのです。
■ “妙法に限界はない!”

須田: 神奈川の白樺会の方の体験が、ちようどいい例になるかもしれません。
大学の付嘱病院で婦長をしておられるHさんが、東京のTさん夫妻について相談を受けました。Tさんは、建築会社に勤務する四十代の男性で、平成八年(九六年)秋に、脳幹部の腫瘍で手術を受けたのですが、腫瘍を全部、摘出することは不可能だったようです。
Tさんの発病をきっかけに奥さんが入会し、回復を祈りました。ところが平成九年(九七年)の夏ごろから、Tさんの頭痛と吐き気がひどくなり、痙攣が続くようになったのです。医者は「腫瘍の転移はないが、頭に水がたまっているためにそうした症状が起きている。水をとる手術が必要です」と奥さんに告げました。
Tさんは、支えられてやっとの歩行で、「お父さん」と呼びかけても「アー、ウー」と会話にならない状態でした。そして、奥さんは地区婦人部長さんに、「一年間、お題目を唱えたけれども夫はよくなっているのだろうか —- 」と語ったというのです。それで地区婦人部長さんは、白樺会のHさんに相談しました。Hさんは、こう答えました。
「転移がなかったということが、題目の功徳なんです。すごいことです。治るだろうか、通じるだろうか、というのは奥さんが自分の生命に作った壁にすぎません。Tさんの生命の限界ではないんです。今こそ強い祈りが大事ですよ! 迷いの生命ではなくて、どれだけ一念をこめられるかの戦いです。Tさんの病巣に、お題目を注ぎ込むような祈りが必要なんです!」

遠藤: 明快な指導ですね。
白樺会の方が、体験に基づいて語る指導は、説得力があります。

須田: ええ。地区婦人部長さんは、さっそくTさんの奥さんに伝えました。奥さんの祈りがますます真剣になりました。すると、その夜、Tさんの体に変化が起きたのです。突然、尿が増え、涙と鼻水が止まらず、枕がダメになるくらい、ぐっしょり濡れました。これが三日間続き、四日目には、驚くほど回復され、ご家族と普通に会話ができるようになり、足どりもしっかりと歩行できるようになったというのです。
主治医も驚いて再検査をしましたが、見事に回復し、手術も必要ありませんでした。
Tさんはすっかり元気になり、中一の息子さんは「題目はすごい! だからばく、創価学会に入りたい。今すぐ入りたい」と言って、小学生の妹にも仏法を勧めて、兄妹いっしよに入会しました。

斉藤: 素晴らしい体験ですね。同じ祈りでも、「確信」が大事だということを改めて教えていただきました。