投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月21日(月)17時19分34秒     通報
■ 師を求める“一心”に

斉藤: 子どもたちが、父の死を聞いて嘆き「咸く皆恋慕を懐いて 渇仰の心を生ず(咸皆懐恋慕 而生渇仰心)」(法華経 p506)。そして「一心に仏を見たてまつらんと欲して 自ら身命を惜しまず(一心欲見仏 不自惜身命)」(法華経 p507)となります。その「一心」に応えて、「永遠の仏」が姿を現すということです。

名誉会長: それは自分の「永遠の仏界」に目覚めるということです。そのカギは、仏を求める「一心」にある。日蓮大聖人は、この「一心欲見仏 不自惜身命」の文によって、「日蓮が己心の仏界」を顕し、「三大秘法」を成就したと仰せです(御書 p892、趣意)。以前にも触れたが、大聖人は「一心」について、「一心に仏を見る心を一にして仏を見る一心を見れば仏なり」(御書 p892)と仰せだ。「一心欲見仏」の経文が、「一心に仏を見る」から「一心を見れば仏なり」へと読み換えられている。“仏を求める凡夫の一心”が、そのまま“仏の一心”となっているのです。
「心こそ大切」です。慢心ではなく、心の底から求道心を燃やしきっていかなければ、仏法はわからない。何億年、何百億年に一回しか、めぐり会えない御本尊だと思ったなら、一回一回の勤行がどれほど感激に満ち満ちてくることか。
末法の御木仏・日蓮大聖人の「己心の仏界」が、「一心欲見仏 不自惜身命」の文によって顕されている。この甚深の意義をかみしめなければならない。成仏といい、仏界といっても、「不自惜身命」の信心の「心」にしかないのです。その心を失ったら、仏法はない。その「心」を引き出すために、仏は「入滅」という姿を見せる。これが「方便現涅槃」です。
■ 「臨終只今」の「臨終」とは —-

名誉会長: あるとき、戸田先生は言われた。「『臨終只今にあり』というが、この臨終は、どなたの臨終かわかるかね。仏様の臨終だよ。仏様がいらっしゃらなくなったとしたら、どんなに心細いだろう。どんなにか悲しいことだろう。仏様に今、お別れしなければならないのだと思って、信心することだよ」。
この言葉を漫然と聞いていた人は、戸田先生が亡くなったあと、先生が生きておられるうちに、ああすればよかった、もっと戦って喜んでいただきたかったと後悔したのです。
「臨終只今」とは、師匠の臨終が只今と思って、猛然と広宣流布へ戦っていきなさいということです。師匠に見守ってもらって戦えるなんて幸せなことなのです。それがわからない弟子は失格です。
師匠が生きているうちに、そう気づいて頑張るのが「本心を失っていない子ども」に当たる。気づかないのが「毒気深入」で本心を失った子どもです。

斉藤: 今までの読み方が、まったく浅いものだとわかりました。「師弟」という一点が寿量品の魂ですね。

名誉会長: 師弟不二を教えてあげようという仏の大慈悲の結晶が寿量品なのです。師匠も久遠以来の仏である。弟子の一切衆生も久遠の仏である。それを、いかに自覚させるか —- それが仏の「毎自作是念(毎に自ら是の念を作さく)」です。
弟子を立派にしたいと思わない師匠はいない。
しかし師匠のその心は、弟子には、なかなかわからない。親が子を思うほど、子は親を思わない。互いに思ってこそ「不二」になる。
戸田先生が牧口先生を思う心は、すさまじかった。獅子のごとく剛毅な先生だったが、晩年、長い間の疲れが出た先生は、よく「牧口先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と言われていた。牧口先生のことになると、いつも「真剣を抜く」姿勢をとられた。先生の獄死のことになると、阿修羅のごとく激憤された。
ある時は、胸臆から涙し、ある時は秋霜のごとく厳しく論じ、いつもいつも恩師を偲び、語り抜いておられた。
戸田先生が、牧口先生の死を獄中で検事から聞かされたとき —- その時こそ、恩師を死に追いやった権力の魔性と戦い抜くことを、先生は決意されたのだと思う。その意味では、牧口先生の獄死が、現代における広宣流布への「方便現涅槃」となったとも言えよう。そうなったのも、恩師を求める「不二の弟子」がいたからです。
「妙」は死、「法」は生。師匠は「死」、弟子は「生」。師弟即妙法であり、妙法即生死です。まさに生死不二であり、師弟不二なのです。

「恩師は逝きて薬王の
供養ささげてあるものを
俺は残りてなにものを
供上まつらん御仏に」

戸田先生の詩です。師も「一心欲見仏 不自惜身命」であった。ならば自分も「一心欲見仏 不自惜身命」で生きていこう、と。これが寿量品の心です。この師弟の継承がなければ、「永遠の生命」といっても抽象論になってしまう。ただの「理」になってしまう。
また寿量品で大事なことは、「弟子の境涯によって、同じ師匠が違って見える」ということです。弟子が成長した分だけ、師匠の偉大さがわかる。このことを教えているのです。