投稿者:五分の魂   投稿日:2015年 7月30日(木)12時51分39秒     通報 編集済
大御本尊は受持の対象としない、日寛教学の「一大秘法」「六大秘法」と言う用語も今後は用いない等、今まで創価学会が根本中の根本と指導してきた内容を180度転換する内容に、すぐに納得できない会員が数多くいてもそれは無理からぬことである。
それなら丁寧に勉強会や説明会を開催するなどの対応が必要であるにもかかわらず、そのような機会も設けず、会員の思うに任せるような対応はあまりにも不親切かつ無慈悲であると私は思う。
何十年も信仰を続けている会員にとっては会則・教義の改正は重大事項であり、関心も高く、聞きたいことや疑問に思うことも多いことは当然である。
説明会等も開催されず、一方的な解説記事が2度だけ聖教新聞に掲載され、大白蓮華4月号に追載されただけでは、事後の対応が全く不十分である。
何故、説明会を開催しないか、質疑応答の場も設けないか、そんなことを考えていると、開催しても担当者がまともに回答できず、回答に窮することが容易に想像できるため、簡単には開催できない事情があるのではないかと思わざるを得ない。
実際のところ、会則・教義の改正について、新聞発表される前に事前に知らされていた地方幹部はいないのではないか?したがって、地方幹部を対象とした事前の研修なども行われないまま、いきなり新聞発表されたので、地元の会員からいろいろ質問されても対応の仕様がないというのが実情なのかもしれない。
常識的に考えて、これだけ重大な方針転換が行われる場合、事前に周到な準備を行うのが当然である。少なくとも新聞発表を行う前に、主要な地方幹部に対しては十分な説明と会員からの質疑応答に対応しうる材料の提供があってしかるべきである。
このようなプロセスが踏まれていないこと自体が尋常ではなく、現在の本部執行部の体質を現しており、世法の常識・感覚と全くかけ離れてしまっている。
池田先生の著述が内々で改訂されている件についても、池田大作全集への収録前にこれを急いだようであるが、各著述の何をどのように改訂したかなどについては何の説明もない。
誰も教えてくれないので、ためしに自分で小説「人間革命」の1巻、2巻を改訂前のものと改定後のものを読み比べてみると改訂箇所は相当多いし、内容がごっそり削られている箇所もある。これらの作業が実際にご高齢の池田先生の手で行われているかどうかについては、以前にも書いたように「推して知るべし」としか言えない。
大阪大会での池田先生のご発言内容の音声改竄問題については、著述改訂という伏線があるので、同じ流れで行われたことなのだろうが、どなたかが、【第59回本部幹部会・中部・北陸総会】(2006・4・20)での池田先生のスピーチを掲載して下さっている内容をもって「推して知る」と、先生のご指示でないことは明確である。

『一つの裏切りを水に流せば、必ずまた別の裏切りが起こる。これが歴史の教訓といえよう。
いわんや、仏法において、恩知らずの破和合僧は、重大な罪である。絶対に許してはならない。これまでも卑劣な反逆の人間がいた。
権威、権力の脅しにおびえ、すぐに臆病になる。保身を考え、簡単に時流に流される。そんな幹部など断じて信用できない。
新たに青年を鍛えるしかない。青年を育てるしかない。
青年、青年、青年……私の心は、その一点から離れることはなかった。
純粋な信心を持ち、邪悪とは勇気をもって戦う正義の青年を一人でも多く育てたい ── その思いで、新しい時代を切り開いてきたのである。

結びに、戸田先生の言葉を贈りたい。
わが心から戸田先生が離れることはない。
一体不二で勝つ。これが師弟である。
師弟に生き抜けば、心は晴れやかだ。後輩も、どんどん育つ。
わが人生の最終章を見事に飾っていけるのである。
先生は言われた。
「百年先のために、真実の歴史を残しておこう!」
私も、戸田先生と同じ思いで、真実を語っている。
真実の歴史を、明確に残していく。』

本部のお偉いさん方が何を考えているかは分からないけれど、今のようなやり方は、少なくとも皆が「心晴れやか」にはなれない。
会員の「推して知る」しかない苦しさ、もどかしさ、悲しさが分かるなら、今のようなやり方が出来るはずがない。
この掲示板で多くの人が語っておられるように、中身よりもプロセスが問題なのである。
あらゆる角度からの正確な情報開示こそが、今求められている本部の対応である。