2015年7月3日 投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 7月 3日(金)02時47分9秒 通報 御本尊の教義変更を、消化できる人もいれば消化できない人もいます。これ、当たり前の話でしょう。 何十年と変わることなく信じてきたものが一夜にして、「受持の対象としない」と発表されたら、普通に考えると「今までなんだったんだ」となるでしょうし、私もそう感じました。むしろ、すんなり受け入れ、切り替えられる人は、信仰者として節操がないのではないか。少しは考え、悩んでもいいのではないかと思うのです。 そして何か重大なものを変更するときは、発表・説明・質疑応答の三段階を踏むのが常識というものでしょう。発表・説明だけでは一方的な姿勢であり、それで「はい、そうですか」と納得するのもいかがなものか。教義変更に関しても、まだ、質疑応答がなされていない。 私の提案として、聖教新聞で教義変更のQ&Aコーナーを設け、全国から質問、疑問を募集し、一つ一つ答えていくこと。そしてそれを連載企画とし、1年ほど続ける。御本尊という信仰の根幹に関わる問題に対して、どれだけ細かく、誠意ある対応ができるかが勝負です。現場レベルでの質疑応答では、責任者の見解によって異なり、かえって混乱を招く恐れがあります。新聞掲載すれば、それが学会の公式見解として浸透し、勝手な解釈もなくなり一石二鳥である。 むしろ何故、いまだにQ&Aコーナーを設けていないのかが不思議なくらいである。御本尊の教義は全会員に関わる最重要事項である。モヤモヤしている会員も少なからずいますし、私の友人も何人もの幹部に指導を受けても、モヤモヤが晴れずに苦しんでいます。無理やりなんとか納得させようと、自分に言い聞かせるようにしているのが現状です。 もしも、「理解できない会員が悪い」、「ついてこれない会員が悪い」、「疑問に思うほうがどうかしてる」などと少しでも考えているのであれば、それは無慈悲であり悪です。御本尊の教義変更を決して簡単に考えてはならないし、かりにそれが正しいことだとしても、それだけをもって良しとしないのが信仰者の姿勢というものです。そんな浅い問題ではないということです。仏法は道理であり、道理とは人の生きる道であり、「筋を通すこと」である。誠意ある対応こそが人の道であり、それをQ&Aという具体的な形にしていくことが大事ではないでしょうか。 Tweet