投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 7月 1日(水)18時49分43秒     通報
・誠実一路様
不自惜身命の一念の異名こそが「学会精神」ですね。
また、不自惜身命の一念でなければ、三類の強敵と戦うことはできません。
悪や難と戦う中に、不自惜身命の一念も顕現されていくといえましょうか。原因と結果が同時の蓮華の法であるが故に、悪や難と戦う信心即成仏であり、仏なのでしょう。
54年問題も、不自惜身命をキーワードに見ていけば、解き明かすことができます。不自惜身命の反対は保身の一念です。
前会長は、25年間、難がなかったと聖教座談会で指摘されていましたが、それは不自惜身命の一念のなさを物語っています。三代会長が不自惜身命の一念なのに、最高幹部が保身の一念であったことがすべての狂いの元凶でありましょう。そして今もまた繰り返されているのではないでしょうか。
・共戦様
命を懸けることは、言うは易く、行うは難しですね。学会の薫陶を受け切った最高幹部ですら、誰にもできなかったという現実が54年でしょう。不自惜身命とは「覚悟の信心」であり、御書を身で読んでいく戦いでもあります。浅きを去って深きにつく戦いであり、功徳を受けていればよしとする段階を越え、悪と戦うこと、難と戦うという困難な道を往かねばなりません。

御書「詮ずるところは天も捨て給え諸難にもあえ身命を期とせん」(P232)

この言葉こそが日蓮大聖人の精神であり、覚悟です。
「自分は頑張っている、戦っている」と思っているうちはまだまだであり、もっと深い領域があることを知らねばならないでしょう。さらなる信心の深化を求め、信行学に励んでいくことが大事であると思います。