投稿者:まなこ   投稿日:2015年 6月23日(火)13時29分38秒     通報
§方便品§(4)
■ かけがえのない個々の生命

斉藤: 諸法実相が、一切衆生の成仏の「根元」の法理であることを確認できました。諸法実相の現代的な意義について、さまざまな角度から語っていただきたいと思います。
「諸法すなわち個々の生命」が即「実相すなわち宇宙生命」と一体である —- 部分が即全体であるという、この不可思議な関係を明らかにしたのが諸法実相の法理ですが、現代科学の各分野でも、全体は部分の単なる総和ではなく、個の中に全体が含まれているということを主張するようになっています。

名誉会長: その通りだね。このあたりから見ていくと、現代人には、むしろ分かりやすいかもしれない。

遠藤: 個に全体が含まれていることを示す科学的な知見は数多くあります。最も分かりやすいのは、細胞の中にあるDNA(デオキシリボ核酸)の話でしょうか。
DNAというのは、生命体の遺伝情報を担う物質で、生命のすべての細胞の中にあります。人間の身体を構成している細胞はほぼ二百種類あり、さまざまな異なる働きをしています。ですから、それぞれの細胞に含まれるDNAは当然異なっていると考えるのが自然です。しかし実際には、ほとんどすべての細胞に同じDNAがある。つまり、髪の毛を作っている細胞であれ、肝臓を作っている細胞であれ、どの細胞ひとつとっても、そこには身体全体の情報が入っていることになります。

須田: だから、「ジュラシック・パーク」というアメリカの恐竜映画にあったように、化石から取り出した一つの細胞があれば、絶滅した恐竜でも再生できるということが理論的には成り立つわけですね。

名誉会長: どの細胞のDNAにも、すべての情報が入っているからこそ、その細胞が身体のどこに位置するかによって、その位置に適った機能を発揮できる。髪の毛なら髪の毛、肝臓なら肝臓と。それで、身体全体の調和がある。生命の妙です。
戸田先生は、生命体の各部分が、あるべきところにあることを、「衆生法妙」の譬えに挙げられていた。

斉藤: 一つ一つの細胞の中の遺伝子に、身体全体の情報が入っているということですが、このことを巨大な図書館に譬えた人もいます。笑い方、泣き方、歩き方など、私たちの身体が、どのように振る舞うか、という情報のすべてが、この
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方便品から
「汝等既已に 諸仏の世の師の 随宜方便の事を知りぬ 復諸の疑惑無く心に大歓喜を生じて 自ら当に作仏すべしと知れ」 (法華経 p191)

あなたがたは、すでに、世の師である諸々の仏が、それぞれの衆生にふさわしい巧みな方法を用いて教化することを知った。であるからには、諸々の疑惑をもつことなく、心に大歓喜を生じて、自分自身が必ず仏になると知りなさい。
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細胞の「図書館」に所蔵されているというのです。一説によると、一つの細胞に収められている情報は、五百ページの本千冊に相当するそうです。ちなみに、生きている間に習得した情報を保存する脳を図書館に譬えれば、収まる情報量は二千万冊にもなるといわれます。

名誉会長: “脳の世界”は、二十一世紀の科学の最大のフロンティアとされる。まさに一つの小字宙というべき広大な世界です。これまでの研究によって、脳の部位ごとの働きなどが明らかになってきたようだね。

須田: はい。喜怒哀楽の感情はもとより、○や△、×といった記号を識別する脳の部分まで発見されているということです。

名誉会長: ところが、脳の研究が進むにつれて、脳というのは、単にそれら部分部分の働きを集めただけのものではないことが明らかになってきた。
例えば、人間の脳には知的な機能を司る「左脳」と、芸術的な機能を司る「右脳」があるとされている。しかし驚いたことに、片方の大脳がすっぽり欠けている人がいるという。
社会的にも何不自由ない生活を送っていたある青年は、たまたま受けた脳の精密検査で左大脳半球がないことが分かった。知的能力を担っている左脳がないのだから、従来の常識からいえば、その青年は言葉を理解できないし、右半身も不自由なはずです。しかし、実際にはそうではなかった。つまり、残された右脳が、欠けている左脳の役割まで肩代わりしていたというのです。

遠藤: 生命は本当に神秘ですね。脳に欠損部があるため、機能障害をもった子どもが、成長するにしたがって脳が自己修復していき、成人するころには正常な状態になっていたという例も数多く報告されています。そうした脳欠損の障害をもつ子どものために、その子を他の子どもたちと一緒に育て、絶え間なく刺激を与え続けるようにしている保育園もあるそうです。そのなかで、例えば脳幹と前頭葉の一部しかなかった子どもでも、根気強く接することによって、他の子どもと一緒に遊べるようになった例もあります。

名誉会長: なるほど。生命には測り知れない可能性がある。その莫大な力が、明らかになってきているようだ。
だから、どんな人に対しても、あの人はダメなどと決めつけてはいけないね。特に自分自身の可能性を決めつけてはいけない。多くの場合、「行き詰まり」は、自分自身のそうした決めつけから生まれているものです