投稿者:信濃町のネット対策チームの対策   投稿日:2015年 6月 2日(火)22時13分9秒     通報
信濃町のネット対策チームの対策です。

項目ごとに書かせていただきます。
宜しくお願いします。
本日もお題目を唱えることができました。

以下・宮田教授の見解です。
①創価学会に本尊認定権があることを教義的にどのように正当化するのか、という問題に関しては、少なくとも日蓮真撰と学問的に認められている資料を基にすれば、正当化はできないが、それは創価学会のみならず、全ての日蓮系教団についても言えることである。

以下・信濃町のネット対策チームの対策の見解です。
①全ての日蓮系教団が、本尊認定(作成)について正統性を示せないのであれば、日蓮大聖人は、信仰の根本である御本尊について弟子に残せず亡くなったことになります。
こんな手落ちな仏様がいるのでしょうか?

宮田教授は真撰だけで判断をしようとしています。
「学者の教学」であればそのような手法もあるでしょう。
しかし「信仰者の教学」であれば間違いです。

ここでは名前を伏せますが、日蓮研究で有名な方が言われていることがあります。

御書の中には、「真筆」が無いために「偽書」として扱われる御書があります。
しかし、「真筆無し」=「偽書もしくは不明」とするのは間違いであります。

その「偽書」は
「何の目的で作成されたのか?」
「いつ作成されたのか?」
「どこで作成されたのか?」
と掘り下げなくてならないと言われています。

日蓮大聖人の弟子であれば、「師の思想はこのような内容であった」
「師はこのように御指導されていた」
このように考え「文章書く」ことは自然です。

例題です。
私達の機関誌大白蓮華6月号にも、「飛翔の原点記念撮影会8」が掲載されています。

内容の大半は「証言者」の声です。

「先生はこのように声をかけて下さった」
「先生はこのように御指導されていた」
「先生はこのようなお気持ちであった」

どれも「証言者」が「聞いたこと」「感じたこと」です。

将来、宮田教授のような学者が池田先生の思想を研究したら、「池田先生の直筆の文章」と「ノーカット映像」のみを池田先生の思想とするのでしょうか?

大白蓮華に掲載されている「証言者」の「声」は不確定な池田先生の思想として排除すべきですか?

このように考えると宮田教授の今回の本尊認定に対しての見解①には反対です。

創価学会の教学試験を受験された方はどう思いますか?