2014年9月8日 池田先生の指導②1-2 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月 8日(月)12時56分56秒 返信・引用 教義の純粋性をよそおいながら、正法を行じ弘める人・団体から人々を引き離す。 その真のねらいは、己の我欲と嫉妬を満たすことだけであった。 なおこの時、釈尊の教団の青年リーダーであった舎利弗、目連の二人が提婆の計略を打ち破り、師・釈尊の正義を証明して、これら五百人の比丘を魔手から連れ戻したことは、有名なエピソードである。 私も以前、青年部への期待をこめて舎利弗と目連の戦いについて語った。 謀略の人は、その策謀の意図が深いほど、みずからの野心と名聞名利を巧妙に隠す。 清廉をよそおった言動をなし、《正統派》の旗印を振り回しては人々の心をとらえようとする。 破和合僧といっても、粗暴な言辞や仕打ちをもって正法の教団に攻撃を加えるとはかぎらない。 まじめそうな姿勢、非道と戦っているのだといわんばかりの言葉で、清浄な教団を攪乱してくることがあることを忘れてはならない。その底流の真意を見抜けず、正義ぶった「悪知識」に従っていくことの恐ろしさ――。 ゆえに皆が賢明、聡明にならなければいけない。言葉よりも、現実の生活、人格、いざというときの振る舞いを見れば、真実は明らかである。経文と御書に照らせば、一切が明白となる。 日蓮大聖人の御在世に、こうした和合僧に対する謀略の図式はまったく同じであった。御書に次のように述べられている。 「仏言わく我が滅後・末法に入つて又調達がやうなる・たうとく五法を行ずる者・国土に充満して悪王をかたらせて・但一人あらん智者を或はのり或はうち或は流罪或は死に及ぼさん時・昔にも・すぐれてあらん天変・地夭・大風・飢饉・疫癘・年年にありて他国より責べしと説かれて候、守護経と申す経の第十の巻の心なり。当時の世にすこしもたがはず、然るに日蓮は此の一分にあたれり」(御書一一四九頁) ――釈尊の言われるには「わが滅後、末法に入って、提婆達多のように、尊げな姿をして五法を行ずる者が、国に充満して、悪王を味方にし、ただ一人正法を弘める智者を、あるいはののしり、あるいは打ち、あるいは流罪にし、あるいは死にいたらしめようとするとき、昔にもまして、天変、地夭、大風、飢饉、疫病が年々に起こり、他国からその国を攻めるであろう」と説かれている。これは守護国界主陀羅尼経という経の第十の巻の心である。この経文は今の世と少しも違わない。それなのに日蓮は「但一人あらん智者」の一分に当たっている――と。 権力者に働きかけて大聖人を死罪に及ぼそうとし、一門を攪乱した「破和合僧の張本人――その代表格が真言律宗の僧・極楽寺良観である。 Tweet