投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月 7日(日)16時24分48秒 返信・引用 編集済

本年は、戸田先生の会長就任、いわゆる《広宣流布への宣言》から四十年。
そのうち、先生が逝去されてから今までの三十三年間、私は弟子として、師の遺命を実現せんと、走りに走ってきた。
まさに万年への土台をつくった四十年であったと確信する。

ところで、不思議なことに、近代の歴史は、《四十年》を周期に、大きなうねりを描いている。 たとえば――。

フランス革命(一七八九年)から四十年後、紆余曲折のあげく、革命の総仕上げともいうべき七月革命(一八三〇年)が発生。
貴族(土地貴族)の支配に息の根をとめ、ブルジョア(資本家)の時代が始まった。

また、「帝国主義」の時代も、その本格的開幕は、ドイツ帝国誕生(一八七一年)、イタリア王国誕生(一八七〇年)にある。
その約四十年後、帝国主義の《結実》である第一次世界大戦(一九一四年)が始まっている。

ロシアの「共産主義革命」も、プレハーノフらマルクス主義者が「労働解放団」を創設したのが一八八三年。
その四十年後の一九二二年末、「ソ連邦」樹立の宣言が行われた。

これは、もとより厳密な理論ではないが、たんなる年数合わせにとどまるものでもない。
四十年という年月は、ちょうど、前の大事件後に生まれ育った世代が、人口の大半を占めるにいたる程度の時間と考えられる。
世代交代の完成に要する期間ともいえようか。

すなわち、前の世代の敷いたレールを走り、一つの達成を見る。
しかし一方では、《出発点》の背景や心情はもはや遠く、まったく新しい時代を迎えている――。

日本の近代もまた、四十年の周期をもっている。
日本の正式な開国は一八六五年、五カ国通商条約の締結をもって始まる。
欧米に《追いつけ》との目標は、四十年後、日露戦争の勝利(一九〇五年)という《到達点》をえた。

その勝利に有頂天となり、傲りに傲って、四十年後、第二次世界大戦(太平洋戦争)における「敗戦」(一九四五年)を迎える。

それからさらに四十年で、経済大国となり、ふたたび《日露後》のような傲慢が日本を侵しているようだ。
「このままでは、日本に繁栄の二十一世紀はありえない。すでにピークは超え、衰亡に向かっている」と嘆く識者は多い。

社会の変化の要因はさまざまであるが、せんじつめれば、人間の「一念」に帰着するであろう。
傲りの一念は滅びの因、謙虚な自制と挑戦の一念が発展の原動力である。

ともあれ、四十年は、ひとつの時代の終わりであり、新しき舞台への出発である。
仏法は「現当二世」と説く。「現在」を出発点として「未来」をどうするか。
どのような《四十年後》をつくりゆくのか。その《つねに出発》の信心が大切であろう。

四十年後(二〇三一年)は、学会創立百周年(二〇三〇年)を超えている。
今、私どもが営々としてまいている妙法の種、人材の種、友情の種――。
その無数の種子が、《創価百年》の黄金時代には、盤石なる《広宣の大地》の上に、壮麗にして豊饒な文化・教育・平和の《花かざりの森》を世界中に広げていよう。
私には、その雄大な光景が、パノラマのようにありありと目に浮かぶ。

大聖人の御遺命は「世界広宣流布」。
私どもの本格的な活動はこれからである。
舞台は「未来」であり、「地球」である。
現実にしっかりと根を張りながら、今までの十倍、二十倍の力を発揮し、福運をつけ、「歓喜のなかの大歓喜」の世界を広げてまいりたい。
なかんずくここ数年で、あらゆる意味で、万代への、さらに盤石な基盤を築いておきたい。
ゆえに、胸中に満々たるエネルギーを蓄えていただきたい。心身ともに健康であっていただきたい。それが私の最大の願いである。

【「長野県婦人部の日」記念研修会 平成三年七月二十六日(全集七十七巻)】