2015年5月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年 5月27日(水)13時17分1秒 通報 はじめまして、大仏のグリグリのとこと申します。 グリグリは、セブンスターさんの文底読みに感動しました。 まったく、その通りだと思います。納得 ! ありがとうございました。 ※(改行変更) 投稿者:セブンスター 投稿日:2015年 5月27日(水)11時21分10秒 編集済 「顕仏未来記」の御文に曰く 伝教大師曰く「浅きは易く深きは難しとは釈迦の所判なり浅きを去って深きに就くは丈夫の心なり」 とあります。 文上で読むならば、 爾前権教の浅い教えを去って深い教えである法華経に就くのが釈尊の心に沿った行為である。 となるのでしょうが、 文底で読めばどうなるか? 学会本部の言う通りに「何となく信心(学会活動)」をするという浅い信者の行動から去って、 疑問を持ちまたその疑問を一つ一つ解決し、自身の信心を深めていく行者としての信仰をするのが 大聖人の御心に沿った本当の信仰である。 と言う様になりませんか? それこそが師匠の「自身と創価学会の目の覚める様な発迹顕本を頼む」という言葉に沿った事に なりませんか? Tweet