2014年9月1日 池田先生の指導です。 投稿者:河内平野 投稿日:2014年 9月 1日(月)10時18分3秒 返信・引用 アタイデ氏はインタビューのなかで、こう語っておられたという。 「安直な日常の状態では、人間の力は育成されない。民衆を圧迫する権力との戦いを経験する以外に、人間自身が、真に強くなる方法はない。その苦境のなかで、いかに自分自身を磨いていくか。そこに、権力との闘争に打ち勝つ、人間としての力が培われていく」 「権力との戦いは、黙っていては、勝つことはできない。戦っていれば、民衆は、いつしか権力者の側にだまされ、いいように利用されるだけである。人権も、人間の尊厳も、黙っていては権力に屈服してしまう。ゆえに、叫ばねばならない。権力に対する民主の勢力は、絶対に黙っていてはならない。真の自由と幸福を得るためには、力を尽くして戦うことだ。権力との戦いは、ある意味で永遠である。どこまでもどこまでも戦いぬかねばならない」と。 権力の魔手は、黒い策謀と悪意。民衆の武器は「声」と「言葉」である。 自由を守るための戦いに、何を遠慮する必要があろうか。 叫ばねば戦いではない。 戦わねば幸福にはなれない。 立つべき時に立ち、叫びきることが、人間としての証なのである。 また、こうも述べておられたという。 「何より、民衆に『真実』を知らせることが大切だ。それは民衆の権利である。われわれは、事実を訴えぬいていかねばならない。事実、実態がわかってこそ、正邪を見極めることができるからだ」。 そのとおりだと、私も思う。 真実を真実として、事実を事実として言える世界。 学会員一人一人が、魂の自由を謳歌できる世界――。 その幸福の時代をつくるために、私は時を待った。時をつくった。 しゃべるなと言われても、書くことができる。 書くなと言われれば、音楽を弾いてでも激励できる。 また、あらゆる角度からのスピーチで、正邪を見わける力を皆にあたえることもできる。 どんな立場になろうと、私は私である。 どんな圧迫があろうとも、私は愛する学会員のために働き続ける。 それが、この十数年間の私の決意であり、戦いであった。 Tweet