投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月25日(土)08時03分29秒     通報 編集済
『4/24 アルベア様、信心の深化・進化』

昨日のアルベア様の問題提起に対して、
「価値ある議論をするためにも、あえて掘り下げてご返信します。」

批判は批判として、真摯に受け止め、さらなる議論の進化、止揚をしていくことがこの返信の本質です。

私は基本的に、”正義の走者” 様の投稿を支持します。

それは、師弟不二の信心以外に日蓮仏法の正しい理解と実践はあり得ない。また、現執行部には、その精神が皆無であるからです。
創価学会の本来的使命を取り戻すためにも、過去を掘り下げて、どうあるべきかを共有するのは、多いに意義あることではないでしょうか。

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正義の走者 様

投稿日:2015年 4月24日(金)11時40分2秒
誰もが閉口してしまいそうなお説ですが、私はそうは思わない。
聖教新聞が一言も語ろうとしない4.24を語ることには重要な価値がある。

現執行部を批判することも、ある面において重要な意義がある。

大体、ここ十年来、創価学会は信仰の深化・進化をどのようにしてきたのか。今回の会則改定と解説を見る限り浅化・退化していると断ぜざるをえない。
あたかも進化したかの如く装っているに過ぎない。

このまま行けばいずれ日蓮本仏を捨て、種脱も捨て、本迹不思議一などと言う日が来るだろう。その時は御本尊無要論が跋扈しているに違いない。

そこに警鐘を鳴らすことには大きな価値がある。

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>>「宿坊の掲示板」で語られていることは、一人一人にとって、何の意味があるのでしょうか?「掲示板」の冒頭がその目的を明確に示していますが<<

★悪との戦いがテーマです。師匠の教えです。
>>参加者の愚痴と不平と不満と正当化の羅列に終始していると感じられます。<<

★愚痴と不平と不満の正当化としか捉えられないのは、残念ですね。
>>「○○がどうだ、ああだ、だから○○だ」等々、書き込みする人の自身の人生、価値創造にどのように関係しているのでしょうか?<<
★価値創造とはなんでしょうか?
未来に向かうために、師匠を貶めた根源的な悪を退治しなくてよいのでしょうか?
>>先生以後の学会は・・・等の不安、それぞれの地域組織の疲弊・閉塞状況、聖教新聞の減部実態、歓喜なき周辺を見ても、論じても、まったく意味はない、「昔は功徳がすぐ現れた。今は、」だから、なんなのか?<<
★未来に向かうためには、過去との比較は必要ではないでしょうか?

現状にどのような問題があるのか?
それに共通点があるのか?
あるとすれば、組織や構造的な課題なのではないか?

その原因が何によるのか?…etc

学問の世界でも普通にやられているのではないでしょうか?

現状を正しく認識しないで、本当に有効な対策が打てるでしょうか?
>>現代文明の愚考が深く、広く浸透していることに気づけない意識状況が厳然として在るのです。世間の組織、企業でも同じです。<<
★具体性がなく意味が不明なので、この問題点や課題をあげてみてください。
私のスタンスは、認識無くして評価無しです。

また、意識の集合体の概念は理解できますが、
それが一般社会とどのように関係しているかをもう少しわかりやすく提示をお願いします。
>>ある掲示板、またはネットでは、参加のルールがお互いの合意で、不平不満、虚偽、
悪口を書かない、目的に向かっての前向きなこと、参考になる事、等を申し合わせて活気のある議論が行われ参考になるものです。<<
★それぞれの掲示板において問題意識や課題、ルールは違うと思います。

この掲示板では、池田先生を貶めた悪、
学会を私物化する幹部の悪

などを正しながら、師弟不二とは何か?

師弟をただして、創価学会の信仰のあるべき姿を論じています。

個別の現象にだけ着目しているのではありません。
>>残念ながら「宿坊の掲示板」は池田先生の弟子を標榜するだけの、後ろ向きの「掲示板」になっています。歓喜も感動も感じられない世界です。<<
★具体的にご指摘ください。
印象操作の感がします。
アルベア様らしくない批判です。歓喜と感動がない?個人の心を全て把握できるのでしょうか?
根拠をお示しください。
>>理屈をこねまわす智慧に満ち、善の智慧が皆無であることに気づけない現状を感じているのでしょうか?
一人一人の信心の深化、進化を目的に掲げていかないと、世間と同じように閉塞し疲弊する意識が浸透していきます。
「掲示板」に参加する一人一人の「信心の深化、進化」が求められているといえます。
日々の書き込みが、自身の信心だと妄想・幻想し、勝手に歓喜している人も見られます。地球規模での意識に目を向けていかないと池田先生の思想から遊離、乖離するだけのエゴ意識の世界となってしまいます。
大いなる信心の世界を証明していくことが一人一人の広布の戦いです。<<
★これも認識の相違と評価の基準がわかりません。また、具体性がなく、空理空論の感じがします。
これも、認識無くして評価無しですので、もう少しわかりやすくお願いします。

師弟を掘り下げないで、信心の進化、深化はあるのでしょうか?

今の創価学会の問題点は、この原点を蔑ろにしているのではないでしょうか?
この辺りについて、アルベア様の認識をお聞かせください。
>>地球規模で今、スピリチャルな動きが起きています(良し悪しはあるが)<<

★大聖人は、「利根、通力」によらずですが?

スピリチュアルな動きとはなんでしょうか?

理解できなくもないですが?
これも人によっては、妄想の世界と批判をされるのではないでしょうか?
>>「宿坊の掲示板」の世界は、きわめて縮小され、硬直化された「信心」という囚われが覆っているように今日も感じました。<<
★これも具体性がないです。
縮小、硬直化とは具体的にご指摘ください。

現実世界での信仰は日々の出来事に集約されます。

皆がアルベア様のような学問的な世界で生きているわけではありません。

やや上から目線のように感じますが、いかがでしょうか?

これも認識無くして評価無しですので、
もう少し具体的に教えてください。
>>参加者の皆さん方の「信心」の深化が問われています。
今一度ご自身の信心を振り返るのも「気づき」になります。<<
★その通りですが、日々現実と格闘しながら、信仰を貫き池田先生を求めている方が多くいます。
それが、生活者目線での信仰です。
池田先生の指導が素晴らしいのは、具体性があるからです。この掲示板も、多数の池田先生の指導を引き、皆がそれを学んでいます。

アルベア様の批判は受け止めますが、あまりにも具体性がない。
しかも、思い込みが強いのではないか。

また、認識が間違えてないか?
そのように感じる部分があります。

総じて
師弟とは何か?この観点が皆無ではないか。
また、かなり誤解をされているのではないか。
そのように感じます。

もちろん、アルベア様の学問的考察を否定するつもりはないですが、それが一般人や創価学会員の日常生活でどのように価値を生むのでしょうか?

庶民は、生活を切り詰めて、財務をしたり
日常生活の時間をやりくりして、活動しています。

皆がギリギリの所で日々戦いながら、未来を志向し、希望に燃えて頑張っている。
創価の世界の日常です。

池田先生を守りたい。
しかし、会則変更に見られるように、あまりにも無慈悲な今の執行部に対して、創価学会の未来に懸念を持っている方が多くいる証左ではないでしょうか?

どうか具体性を持って、価値創造につながるご提案をしてください。

その上で確認させていただきたいのは
アルベア様にとって、池田先生はどのような存在ですか?

師弟はどのようなものと認識されていますか?

また、54年問題をどのように考えておられますか?

創価学会の問題点はなんでしょうか?
それは、皆無なのでしょうか?

また、教義変更について、どのような考えをお持ちですか?

さらに、幹部の不正や中央組織の腐敗には、どのようなお考えをお持ちですか?
それは正さなくて良いのですか?

組織には間違いや組織悪は、存在します。
人間の為の宗教でなくなれば、創価学会の価値はありません。組織の意義は無いと考えますが、その点はいかがですか?

以上、当方が感じた内容を返信させていただきます。

(本日のアルベア様の投稿は、全体を通してあらためて返信させていただく予定ています)