投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月25日(土)00時41分38秒     通報
池田大作全集97巻より
各部代表者会議 (2004年10月28日)②

平和を願う一市民として世界に友情の絆を

本年は、私が初めてロシアを訪問してから、ちょうど三十年となる。(一九七四年九月、モスクワ大学の招聘で訪問)

この時にあたり、ロシア連邦政府が、私のささやかな文化交流の尽力に対して感謝状を贈ってくださるとの知らせを受けた。温かきロシアの心に、深く、深く、御礼申し上げたい。
(=ロシア連邦政府から名誉会長への「文化交流感謝状」の授与式は十月三十日、聖教新聞社で行われた)

この九月には、モスクワ大学のサドーヴニチィ総長と、二冊目となる対談集『学は光――文明と教育の未来を語る』(潮出版社)を発刊した。初訪問三十周年の節目に、ロシアSGIが新たな体制で出発したことも、まことに意義深いことである。

三十年前、初訪問したとろは共産主義のソ連の時代であり、「宗教否定の国に何をしに行くのか」「共産主義の片棒を担ぐのか」等の強い非難を受けた。

しかし私は、批判など覚悟のうえだった。「そこには人間がいる。人間がいる限り、私は行く!」との信念で、ロシアの人々と会い、対話し、信頼と友情の紳を結んできた。

初訪問のさいには、コスイギン首相と会談した。(九月十七日)

当時は、ソ連と中国の対立が深まっていた時代であった。この年の五、六月に私は中国を初訪問していた。

コスイギン首相に率直に聞いた。

「中国はソ連の出方を気にしています。ソ連は中国を攻めるつもりがあるのですか」

首相は言った。

「ソ連は中国を攻撃するつもりも、孤立化させるつもりもありません」

私はさらに尋ねた。

「それを中国の首脳に、そのまま伝えてよろしいですか」

首相は答えた。「結構です」

このソ連の意向を、私は中国の要人に伝えた。
両国の間にわだかまっていた、不信を信頼に、恐怖を安心に変えたい――その一心であった。
(=名誉会長は、一九七四年十二月、ふたたび中国を訪問。周総理と会見する。翌年の七五年一月にはアメリカを訪れ、国連事務総長、アメリカのキッシンジャー国務長官等の要人とも会談した。さらに同年、中園、欧州、ソ連を訪れるなど世界を東奔西走し、平和への潮流を広げた)

一九九六年六月、キューバを訪問し、カストロ国家評議会議長と会見した思い出も鮮やかに残つている。当時は、キューバとアメリカとの関係が悪化しており、アメリカの心ある政治家から、関係の改善を待望する心情も伝えられていた。

その後、状況は好転し、カストロ議長との友情は今も続いている。

私は一民間人にすぎないが、平和を願う一人の市民として、人間として、また仏法者として、私なりに力を尽くしてきた。各地に平和の礎を築き、橋を架けてきた。懸命に、人類が平等に幸福を満喫できる、世界広布の布石を打ってきた。

新しい人間主義
――ここにしか二十一世紀の希望はない。それを広めゆく旗手は皆さまである。全世界を舞台に、大いに活躍していただきたい。

学会活動に定年なし

本日、参加されている人の、なかには、まもなく定年退職する方がおられるかもしれない。

まずは、「これまで、本当にご苦労さま。長い間、ありがとう」と申し上げたい。(拍手)

ともあれ、定年後の戦いで、人生の勝負は決まる。すばらしい、充実した、人生の総仕上げを飾っていただきたい。定年によって心の張りを失い、寂しい気持ちにおちいったり、元気をなくしてしまう人もいるが、そうなっては、人生は敗北である。家族も不安になってしまう。日本には、そういう″定年の悲劇″が多いが、決してそうであってはならない。

定年後も希望に燃えて、生き生きと、健康に毎日を送ってほしい。その秘訣は何か。学会活動である。広布のため、人々のために行動していくことである。仏法は、本当にありがたいものだ。

定年と言えば、周総理夫人である、 鄧穎超とうえいちょう 先生の言葉を思い出す。

中国の″人民の母″として、全国民から敬愛されている鄧先生だったが、私たち夫婦のことを、それはそれは大事にしてくださった。信頼してくださった。

日本で、中国で、八度にわたりお会いした。最後にお会いしたのは、逝去の二年前である(一九九〇年)。鄧先生は、入院中であったにもかかわらず、わざわざ退院して、北京の中南海のご自宅で、私どもを迎えてくださった。

しかも、そのお体で、日本に帰る私たちに対し、「飛行場までお見送りに行きます」と言われたのである。先生のお体を心配し、固く辞したが、このお言葉を永久に忘れることはできない。

鄧先生は、こう言っておられる。

「私たち同志は、退職しても、『立場は退いても心は退かず』でいきましょう。後輩や青年たち、また、新しい同志たちの手助けをしていくのです。そして、自分の経験を伝えながら、新しい指導者を育てていくのです」(金鳳『鄧穎超伝』人民出版社)

まったく同感である。
「生命ある限り、人民に奉仕する」――私の大好きな、鄧先生の言葉である。

定年を迎えてから、どうか。それでその人の真価がわかる。学会活動に「定年」はない。

私自身、定年の年齢のころから、「さあ、総仕上げをしよう!」「小さい日本ではなく、広い世界が相手だ!」と、猛然と立ち上がったのである。
皆さまは、まだまだ若い。ともに生きぬきましょう! 私と一緒に戦いましょう。(拍手)