2015年4月21日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 4月21日(火)21時05分31秒 通報 随筆 桜の城より抜粋 【大東京の不滅の地盤 「我らの行進は 永遠に民衆と共に!」 1999.4.19】 1980年(昭和55年)のことである。 この祝賀の創立五十周年は、果てしなき卑劣な攻撃と、大難の風波が吹き荒れた日々であった。 その本陣である、わが大東京も、さまざまな次元で、苦悩と苦杯を嘗めてきた。 一歩、退いたら、牙を抜き取られるような、厳しい状態の日々であった。 皆も、何をしたらよいか、どうしたらよいのか、ためらい始めていた。 私は、その姿を見て、あまりにも情けなかった。 なんと、ふがいない幹部たちよ。 私を引退させておいて、自分の責任まで忘れ去っている臆病な姿に、私は怒りを覚えた。 初代会長・牧口常三郎、 二代会長・戸田城聖の、 何ものも恐れぬ獅子のごとき、あの学会精神はどこへいったのか! 寒風の吹きすさぶ、その年の暮れであった。 宗門一派の陰険な嫉妬のために、 当時の私の置かれた立場は、 会合にも自由に出られず、 指導も思うようにできなかった。 恐ろしく黒き権威の鎖が、いつも私を縛りつけていた。 今でも、その黒い陰謀のつながりは、何の道理もなく、私を脅し、中傷し、嘘八百を売り物にしている。 Tweet