2015年4月8日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 4月 8日(水)19時41分0秒 通報 編集済 見込みない人びと様が書いた 本気と本気がぶつかり合う創価学会。 いつしか、現場ではそんなことが無くなっている。 そう思いました。 自戒を込めて 批判を恐れずに書くならば。 いつの間にか、あれ?おかしいなぁ? とおもっても意見をしない。上意下達になっていないか。 小さなことを見過ごすことを繰り返して、学会員自体が劣化していないか。 そう感じます。 その劣化は、これだけの教義の誤りをも見抜けない体質をもたらしたのではないか? 幹部は無謬と信じ込まされて、おかしなことを受け入れてしまう学会に慣れてしまった。 そんな感じがします。 極め付けは、先生は全てご存知、先生がなんとかしてくれる。 だれかが、きっとやるだろう。 自分で解決策を考えずに皆に意見だけ聞いてみる。 自ら動かない。などなど。 今の学会の姿は依正不二ならば、自分の戦いが甘かった。 ここから出発し、自分で解決策を考えて行動することが先ではないだろうか。 まずは、その意識を持っていきたい。そう思いました。 Tweet