投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月 7日(火)15時18分39秒     通報
2008年8月26日付(SP)
8.24記念各部合同協議会より

『今に見ていろ!』

一、そのとき私は、戸田先生の弟子として、師子奮迅の力で先生をお護りし抜いた。

「今に見ていろ!」「必ず戸田先生を、世界中が知る戸田先生にしてみせる」「偉大な学会にしてみせる。わが身を犠牲にしてでも」との思いであった。事実、その通りにやってきた。波瀾万丈の日々であった。師匠に仕えることは、全学会員に仕えることと同義であった。

すごい先生であられた。怖い先生でもあった。不正に対する先生の怒りは、言語に絶するほど、すさまじかった。

どんな時でも私は、「何の心配もございません」と申し上げることのできる態勢を整えた。

先生を支えるために夜学も断念したが、「戸田大学」では、万般の学問を授けていただいたのである。
『負けない人が本物の人生を歩む』
イギリスの歴史家カーライルは、ゲーテに対して尽きせぬ感謝を綴っている。

「あなたを常に私の師であり恩人であると思っています」

「私が他の誰からよりも多く恩義を受け、誰によりも密接に結ばれている人のことを考え、しばしば口に出すのです」

「あなたがこの世界で善を見、善をなされるために、永く永く健在であられることを私は天に祈ります」(山崎八郎訳『ゲーテ=カーライル往復書簡』岩波文庫)

私は、戸田先生のご健康、ご長寿を祈り抜いた。

「私は戸田先生の弟子です!」

「今日の学会をつくったのは牧口先生、戸田先生、そして私の三代の師弟である。

“牧口先生にお供して投獄され、そして戦後の創価学会を再建なされた戸田先生を護ることが、日蓮大聖人の仏法の命脈を護ることである。広宣流布の命脈を護ることである”。このことを私は、一点の曇りもなく確信していた。

そして、牧口先生、戸田先生の学会精神を受け継ぎ、戸田先生の苦境を脱する道を開き、第2代会長就任の道を開いていった。

ある時には、「アメリカとも交流を深めて、必ず創価教育の大学をつくります」とお約束した。

先生と学会に対して悪意の非難を浴びせたある団体を相手に、一人で抗議に行ったこともある。

「私は戸田城聖先生の弟子です。真実は、こうです!」と訴え、相手も最後には「わかりました」と非を認めた。

師匠のために戦った。ゆえに私は何の悔いもない。わが人生に誇りを持っている。

第3代までは、信心の極理を貫いてきた。
この流れを絶つ動きがあれば、絶対に許してはならない。
師弟の歴史を甘く見れば、必ず失敗する。

今は経済的にも恵まれている。人もいる。

だからこそ、広宣流布の邪魔をする人間、威張る人間が出てきたときには、毅然と戦わねばならない。

きょうは、この私の心をだれよりも深く知っている同志が集った。

創価の命脈を永遠に厳讃し抜いていっていただきたい。諸君もまた、決して負けない、”本物”の人生を歩んでほしいのである(大拍手)。