投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 4月 7日(火)09時28分28秒     通報
池田大作全集(99) より
創立七十五周年記念協議会(4) (2005年8月24日)

『我らの勝利を世界の友が待っている』

明るく進もう! 創価学会は、平和と文化と教育の大行進だ。われらの勝利を、世界の友が見つめている。待っている。

思うようにいかないとともあるかもしれない。しかし、人のせいにして愚痴を言うだけ――そんな消極的な姿勢は、勝利者の生き方ではない。

そういう時こそ、元気よく、朗々と題目をあげるのだ。
「わが地域を日本一にしよう!」「わが使命の本陣を、世界一にしよう!」

師子吼するのだ。猛然と祈るのだ。
「私の祈りで、私の叫びで、皆の心を動かしてみせる!」と。

断固たる決心で進むのだ。わが地域の組織を、新しく、もう一つ、つくるくらいの心意気で!
最後の最後まで、皆を励ましていくのだ。そして、叫んで叫んで叫びきっていくことである。

今は「宣伝」の時代である。いいことも、話さなければ、伝わらない。

広宣流布は、仏法の正義を伝える「大宣伝戦」であるといえよう。語れば、語った分だけ力になる。それをしなければ悔いを残す。

創価の同志は、百九十もの固と地域で活躍している。世界中から数多くの顕彰を受けている。
「こんなに、すごいんだ」「これだけの多大な期待と評価があるのだ」――そう語る声が、人々を変えていくのである。勇敢に、自信をもって語りぬこう!

戸田先生のもとで学んだ小説『九十三年』。

そのなかで文豪ユゴーは呼びかけた。
「戦闘の最後の勝利は、つねにもぎとるようにしてかちえられるものなのだ」(辻昶訳、『ヴィクトル・ユゴー文学館』6所収、潮出版社)

新しい広宣流布の夜明けは目前だ。ともに祈りきり、戦いぬき、最後の勝利をもぎとろうではないか!

『一にも人材、二にも人材、三にも人材の輩出を』

ある東北出身の青年が、うれしそうに古い「聖教新聞」のコピーを届けてくれた。

一つは、昭和二十七年(一九五二年)十一月一日付の聖教だった。それは、仙台指導に行かれた戸田先生を、東北の二人の女子部員の記者が取材した訪問記であった。女子部員の″会長直撃インタビュー″である。

私も、そうだった、そうだったと、本当に懐かしく思い出した。

先生は、緊張する二人を励まされながら語られた。

「皆、日蓮大聖人の命を受け、広宣流布する役目をもって生まれてきたということ自体、深遠な宿習なのです。そういう地涌の人生をよく見つめることが大切だよ」

「自分観、人生観、社会観、宇宙観の四つをきちっとまとめているのが仏法なのです」

もう一つ届けられたのは、昭和三十二年(一九五七年)に聖教の「北日本版」(東北・北海道版)に載った、「北日本の青年部員に与う」と題する連載記事である。

これは、師匠である戸田先生のご精神を学び、広布の使命感を深めようとの企画で、当時、青年部の室長だった私へのインタビューであった。
師匠に真正面からぶつかっていこうとする北日本の青年の純粋な求道心に応えようと、私も真剣に語った。そのなかで、私は、東北の青年に呼びかけた。

「白馬に打ち乗ったつもりで、関八州はおろか北海道にも伸びていくという意気に立って前進していただきたい」「一にも人材、こにも人材、三にも人材の輩出を」と期待をこめた。

壮大な東北の未来を見つめながらの語らいは、今も忘れ得ぬ思い出である。

ともあれ、青年が、大求道心を燃やして、師匠に直結していく。この心が、今の偉大なる東北青年部の大城を創ってきたのである。人材育成グループ「仙台・青年と語る会」の伝統を受け継ぎ、このほど新たに「二十一世紀東北・青年と語る会」が結成されるとうかがった。東北青年部の新時代の幕開けを心から祝福したい。

東北の広布史は、「限界を突破する人材」「逆境に打ち勝つ人材」への境涯革命の歴史であった。

ある哲学者は叫んだ。「正義によって立て! 汝の力二倍せん」と。

われらの「正義」とは、立正安国の精神であり、広宣流布の闘争である。

「二倍せん」とは、たんなる数字では決してない。「自分の力は一しかない」と思い込んでいる、自分の「心の限界の壁」を勇敢に打ち破ることである。生命の奥のあきらめの鎖を、きっぱりと断ち切ることなのだ。ゆえに、それは「二倍やればいい」という問題とも違う。必ず三倍四倍に拡大していく突破口なのだ。

『アインシュタイン  勇気をもって語れば、人の心は変えられる」』

戸田先生とともに旅した仙台に、かのアインシュタイン博士も訪れた。博士は関西、東京、愛知、九州にも足を運んでいる。

博士が、第二次世界大戦のころから、繰り返し、訴えていたことは何であったか。それは、「人の心を変えなければならない」という一点であった。核戦争による破滅を防ぐ手だてはあるのか、との問いに、彼は「ある」と断言する。

「邪悪な心を征服さえできたらね。科学的手段に頼らず、われわれ自身が心を入れ替え、勇気をもって正義を語れば、人の心を変えられるだろう」(ウィリアム・ヘルマンス『アインンュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)

「人間革命」の哲学と深く響き合う。ゆえに友よ、人間の心に巣くう、邪悪と戦え! 勇気をもって正義と語れ! 平和の道も、幸福の道も、その一人一人の戦いから始まるのだ。

関東に縁の深い日寛上人は断言された。
「我等、妙法の力用に依って即蓮祖大聖人と顕るるなり」(文段集六七六ページ)

広宣流布のために、不惜身命で戦う人は、偉大なる仏の生命が、わが身に厳然と涌現するとの仰せである。
なんとすばらしいお言葉であろうか。大聖人に等しい力がわきあがる。ならば、いかなる困難にも負けるわけがない。これが信心の究極である。このことを、だれよりも確信して進む関東の同志に「栄光あれ! 幸福あれ!」と、私は強く祈っている。

自分が縁した友、そして、ともに戦う同志の幸福を、心から祈り、陰に陽に尽くしていく。それが仏法のリーダーである。その人が、一生涯、幸福な人生を歩めるように――私はいつも、そういう思いで、祈りに祈り、励ましてきた。

先輩は、後輩に対しても、ふざけがあってはならない。真剣でなければならない。

また、何度も申し上げるが、壮年のリーダーは婦人部の意見を大事にすべきである。独りよがりではいけない。皆が「いいな」「見事だな」と思う名指揮をお願いしたい。

団結こそ勝利である。心を合わせて、仲良く進んでいただきたい。

皆、いい人生を! 青年は親孝行の人に! そして、わが使命の天地で大勝利して、皆から喝采される、すばらしい一生を生きぬいていただきたい。
『ナポレオン  いかなる戦いも、最後の五分間で決まる」』

九月十二日は「竜の口の法難」の日である。
日蓮大聖人の時代は、山に山を重ねるような大難の連続であった。

難こそ誉れ――その崇高なる心を、私はかつて「熱原の三烈士」(本全集第39巻収録)の詩にうたった。

生死流転の神四郎
桜の花に吹く風に
あれよ広布の鑑よと
その名かんばし熱原の
烈士の命 誉れあり

この歌を、そして戸田先生が大好きだった″大楠公″を、わが心のピアノで奏でながら、「わが友よ負けるな!」「断じて勝ちゆけ!」と祈ってきた。

われらもまた、後世の友から讃えられる大闘争を、勇敢にやり遂げよう!

最後に、常勝将軍ナポレオンの言葉「いかなる戦いも、最後の五分間で勝負が決まる」を贈り、スピーチを結びたい。きょうは、ありがとう! 勝って会おう!
(長野研修道場)