2015年4月6日 投稿者:信濃町の人びと 投稿日:2015年 4月 6日(月)14時00分4秒 通報 日達上人は昭和三十五年五月三日、私が第三代会長に就任した第二十二回本部総会(東京・日大講堂)の折に次のように講演されている。 「今日、学会の発展にともなって、ますます諸難がくるのでありまして、この諸難を打ち破っていかなければならないのが学会の使命であります。いな、学会は向こうからくる諸難を待っておるのではなく、むしろこちらから諸難をつくっていって、その諸難を打破していかなければならないのであります。 大聖人様は『いえば諸難重なりきたる、いわなければ地獄の責めをいかんせん、いまの諸難は今生の小苦であるからなげかしからず、後生には大楽をうべければ大いによろこばし』とおおせあって、一難あるごとに、さらに折伏をすすめていったのでございます。いまの学会こそ、そのあとをつぐ人々であります。 (中略) 会長はその指標にたつところの人でありますから、私は会長のこの使命を期待して待っておるのでございます」 日達上人は、学会はむしろ難をつくっていく気概で進んでいくべきであると述べられている。 牧口先生の生涯は、まさに、この日達上人の仰せの通りの尊い弘教の一生であられた。戸田先生は「命を捨てようとした者に、なんで他の悪口や難が恐ろしいものであろうか」と、常々言われていた。これが師弟を貫く 峻厳しゅんげん なる精神であり、広布への気概である。 私は、大聖人の御聖訓のままに前進してきたつもりである。また日達上人の御言葉通りに指揮をとってきたつもりである。そして、恩師戸田先生の指導通り、道を開いてきたつもりである。ゆえに、いささかの悔いもない。ともあれ、広宣流布は御仏智である。大聖人はすべて御照覧であられると確信している。 Tweet