投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月12日(木)12時06分16秒     通報
「5・3」記念協議会 (2006. 3.29)より

海を見つめて世界広布の指揮を
私が第三代会長を辞任したのは、昭和五十四年(一九七九年)四月二十四日であった。
その直後の五月三日、創価大学の体育館で行われた本部総会が、私の実質的な″会長辞任の総会″となった。私は総会を終えると、東京の本部には帰らず、その足で神奈川へ向かった。神奈川文化会館に行って、はるかな未来と広大な海を見つめて、全世界の広宣流布の指揮を執ろう!――そう決意していた。
五月五日、私は神奈川文化会館で、大きく「正義」と書いた。脇書には「われ一人正義の旗持つ也」とつづり、この書を永久に保管するように言った。何があろうと、正義は正義である。仏法は勝負である。正義は、断じて勝たねばならないのだ。

わが人生は、まさしく波澗万丈であった。頼みとできる何ものも持たず、ただ一人、戸田先生の後を術いで、「正義」の旗を蹴げて戦いぬいてきた。ともあれ、埼玉と神奈川には、深い歴史が刻まれているのである。
私は、御書に仰せのとおりの精神で戦っている。牧口先生、戸田先生の教えのまま、広宣流布のために戦っている。ほかには、何もない。私の声は、戸田先生と一体である。牧口先生と一体である。師弟不二の道を歩みぬいてきた私は、そう確信を持って言いきることができる。戸田先生は、こう言われていた。

「創立者を大切にしたところは栄える。創立者をないがしろにし、原点を忘れたところは、必ず派閥ができ、勢力争いが盛んになって乱れる。分裂と混乱と破壊の道へ落ちていく」
創立者を大事にするかどうかで、その団体の未来は決まる。
私は師匠の戸田先生を、最後の最後まで守りぬいた。自分のすべてを棋げて、先生と学会に尽くしぬいた。
″師匠が健康で、長生きして、指揮を執ってくださる。それが最高唯一の幸せである″
この一点を胸に、一直線に突き進んだ。だから、今日の学会の大発展がある。このことを、絶対に忘れてはならない。