投稿者:信濃町の人びと   投稿日:2015年 3月 9日(月)18時44分22秒     通報
2005年頃、いよいよ次は内部の悪と戦うよ。この位の時期から最高幹部に対して厳しい内容の指導が続きます。一般会員には非公開の会合でも、聖教にも指導を掲載したのは、今のこの時の為ではないかと感じませんか?

2004年N副会長が亡くなった時期から、池田先生は裏切りの最高幹部の名前を具体的にあげはじめましたね。

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「5・3」記念祝賀代表者会議 (2005. 4.15)より抜粋

退転・反逆の方程式はいつの時代も同じ

インドの詩聖タゴールの小説に、次のような言葉がある。
「地位が上がれば上がるほど精神的には堕落する一方だ」(『ゴーラ』我妻和男訳、『タゴール著作集』3所収、第三文明社)
ドイツの大詩人シラーの戯曲には、こうある。
「地位が高ければ墜落も大きい」(『ヴレンシュタイン』鼓常良訳、岩波文庫)
「魚は頭から腐る」ともいう。
高い地位にある人間ほど、堕落しやすい、また危険も大きいとの警鐘にほかならない。自分は偉い、自分は特別だと思う心の隙に、「魔」がつけいってくるのである。
歴史を振り返れば、大聖人の御在世にも、日興上人の時代にも、退転し、反逆していった人間がいた。そのなかには、坊主や社会的に上層の立場の者もいた。

戸田先生は、その歴史を通しながら、つねづね、最高幹部を厳しく戒めておられた。
戦時中、創価教育学会に対する軍部権力の弾圧によって、二十一人の大幹部が逮捕された。このうち、牧口先生、戸田先生以外は、次々と退転していったのである。その後も、戸田先生のもとで理事長まで務めた人物が、学会に弓を引いて去っていった。

近年もまた、学会の同志の、おかげで偉くなりながら、″権力の魔酒″に溺れ、傲慢になり、恩を忘れ、最後は学会を裏切り、反逆していった人間たちがいた。皆さんがど承知のとおりである。
ここに、退転・反逆の一つの方程式がある。

御書には、後々の教訓のために、退転・反逆した人間の名前が、厳然と刻印されている。
それは、「三位房」「少輔房」「能登房」「名越の尼」らである。大聖人から薫陶をいただいた弟子であり、また、お世話になった者たちである。
その本性を、大聖人は、「欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こった時に、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである」(御書一五三九ページ、通解)と書き残しておられる。

「自分では智者と名乗る」と見破られているように、そういう人間の本質は、慢心であり、虚栄であり、見栄っ張りであった。
また大聖人は、京都に上って、貴族社会に出入りを始めた門下が、総じて、「はじめは(初志を)忘れないようであるが、後には天魔がついて正気を失ってしまう」(御書一二六八ページ、通解)ことも、厳重に訓戒なされていた。
虚飾の世界に流され、信心を見失い、初志を忘れてしまってはならない。
これらの退転者は、ひとたび難が起こると、大恩ある大聖人に対し、「我賢し」と傲り高ぶって、教訓しようとさえした。

大聖人の門下でありながら、後に退転した人間に、武士の長崎時綱や大田親昌がいた。熱原の法難のさいに、その立場を悪用して、門下迫害の急先鋒に立ったことは、現代にも当てはまる歴史の教訓である。

しかし、この輩が厳しい「現罰」「別罰」を受け、滅び去っていったことも、これまた御書に記されているとおりだ。(「聖人御難事」一一九〇ページ)
だからこそ、大聖人は、「各各師子王の心を取り出して・いかに人をどすともをづる事なかれ」と厳命されているのである。

日興上人は「今は背き了ぬ」と明確に断罪

大聖人の御入滅後、六老僧といわれた六人のうち、日興上人を除く五人の高弟すべてが、師に背き、日興上人から離れていった。
日興上人が残された「弟子分本尊目録」(弟子分帳)には、日蓮大聖人が認められた御本尊を授与された、六十人余の日興上人の門下の名前が記されている。そのなかに、僧侶もいれば、在家もいる。社会的地位のある人間もいれば、無名の庶民もいる。しかし、日興上人は僧俗ともに分け隔てなく「弟子」と記しておられるのである。
ご存じのように、この「弟子分帳」では、その人間が、信心を全うしたのか、退転したのかが、一人一人、明確に記録されている。大聖人の御真筆の御本尊を受持した、最高に誉れある弟子である。当然、全員が、後継の日興上人のもと、心を一つに、御遺命たる広宣流布に逼進していくべき立場であった。

しかし、六十人余りの中で十二人が「但し今は背き了ぬ」「但し聖人(=大聖人)御滅後に背き了ぬ」等と断罪されている。その退転の十二人は、坊主や社会的に地位の高い者等であった。要するに、増上慢であり、無責任であり、保身であり、また嫉妬であった。

反対に、殉教した「熱原の三烈士」をはじめ、無名の庶民の門下たちは、勇気ある信心を貫き通して、三世永遠の栄光と福徳に包まれている。
学会においても、権力を笠に着て、同志を苦しめ、裏切った反逆の輩については、一人一人、明快に断罪し、その名を後世に厳然と残しておきたい。同じ轍を踏む人間を絶対に出さないために。また、こうした問題で次の世代が困ることのないよう、厳しく戒めてまいりたい。

御金言に、このように仰せである。
「(釈尊の弟子の)須利槃特は、三年かかっても十四文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。提婆達多は、六万蔵という膨大な聖典を暗記していながら、無間地獄に堕ちた。このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。決して他人のことと思つてはならない」(御書一四七二ページ、通解)と。
増上慢の人間は最後は敗北する。仏法の世界は、真面目に、地道に、誠実に戦いぬいた人が、必ず勝つのである。

戸田先生も、よく言われた。
「いわゆる″偉い人間″なんか信用できない。いざというときに、臆病で、逃げる。卑怯な、インチキの人間が多いものだ。いちばん信用できるのは、庶民だ。健気な婦人部をはじめ、無名の庶民なんだよ」

本当に、そのとおりである。
私と対談集『二十一世紀への警鐘』(本全集第4巻収録)を発刊したローマ・クラブの創設者。ペッチェイ博士も、ファシズムと戦い、投獄を耐えぬいた日々を振り返って、述べられた。
「牢獄では、頼れるものは自分の信念と人間性だけです。ふだん、皆に号令をかけているような人間ほど、もろかった」「私は、変節漢がいちばん、きらいです」

一人の人間として、わが信念と人間性を最高に光り輝かせながら、生きぬく人生が、もっとも強く、もっとも尊いのである。