投稿者:イササカ先生 投稿日:2015年 2月27日(金)10時29分32秒

この昭和五十四年の第一次宗門問題(会長辞任)は、
学会の歴史における第三の「発迹顕本」として位置付けることはできないでしょうか。つまり、牧口先生が宗門の神札事件の時、「宗門が潰れてでも宗祖の精神を守る」と叫び、創価学会の「発迹顕本」を成し遂げました。

これが第一の「発迹顕本」です。
次に、戸田先生が戦後の荒野に一人立ち、牧口先生の意志を継ぎ、広宣流布の大折伏戦を展開し、
創価学会を「大聖人直結の仏意仏勅の団体」であると位置付けました。
これが第二の「発迹顕本」です。

そして、その仏意仏勅の団体をさらに重厚に作り上げた「第三代会長」の精神を継承するか、宗門を取るかの選択に迫られた時、

当時の最高幹部たちは、「三代会長」の精神を排除し、宗門を選択して学会組織を存続したのです。これが第三の「発迹顕本」です。

しかし、この第三の「発迹顕本」は、師弟不二の道を理解していない当時の最高幹部の弟子によって失敗に終っています。

第三の「発迹顕本」を成就したのは、第二次宗門問題(池田大作総講頭罷免)の時です。二〇一三年夏、池田先生は
「深く大きく境涯を開き、目の覚めるような自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」と私たち弟子に厳命されました。
これが第四の「発迹顕本」です。

これらを考え合わせると、第四の「発迹顕本」とは、私たち弟子と創価学会が、単なる”師弟の道”で生きるのか、それとも”師弟不二の道”で生きるのかのどちらかです。

それが先生の言われる「自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」ということだと思います。そして、その第四の「発迹顕本」の断行を阻む眼前の戦いが
「教学レポート」や「遠藤文書」に描かれた出来事なのだと捉えれば、この問題は非常に重要な事柄だと思えるのです。

現在の執行部は、自分たちが牛耳る「学会組織」を守るために、池田先生の指導を基準とせず、池田先生を排除しようとする実態が、この「遠藤文書」には克明に綴られています。

昭和五十四年当時と全く同じです。

・・・・後半につづく。