投稿者:いいぐる  投稿日:2014年12月21日(日)21時19分58秒    通報
思えば組織の狂いはずいぶん前から存在したと思われます。
池田先生の指導と組織の整合性のなさを問うと魔法の言葉で丸め込まれました。
「そこは信心でとらえて」「皆人間革命の途上だから」「戸田の生命より大切な組織」
どうも本来とは違った意味で使われ思考停止にさせられてきたように思われます。

先生は常に「何の為」との原点を確認しながら進みなさいと指導されています。
これは現実に有った話ですが大変面倒見の良い支部長さんがおられました。
仕事に困った部員に仕事をマメに斡旋する事で有名でとても人望があるそうなのですが

創価学会は何の為の組織なのでしょうか?
仕事の斡旋はハローワークでも求人誌でもできます。いや、そちらが本筋でしょう。
いくら仕事を斡旋してもその本人が「仕事で苦しむ」と言う宿命の転換はできませんね。
その支部長の為すべき行為は御書と先生の指導を語り共々に御本尊を指し示し祈る事ですね。
それをせずに仕事を斡旋する事はその支部長に信心は無いと言う事になります。
このような事象が多数ありました。このような狂いと闘ってきたわけです。
Rina様
私がRina様の信心を判断するような立場も力量もありませんが本尊を始め曖昧なお肉牙でしたっけ?オバケのような大きな御影とか
色々な事がありまだまだ精査しなければならない物が沢山あるようですね。

真実の脈に巧妙に信徒支配に為の悪血を混ぜ込んで流して来たのが悪しき職業的宗教者の常套手段だったと考えますが。
多くの場合は人の振る舞いに収斂されてゆくと思われます。

Rina様は自身の愛する家族や友人が燃え盛る火事の中に本尊を取りに
飛び込もうとしているのを目前にして「強信だな行ってこい」と言えますか?
私は目の前でRina様が飛び込もうとしていたら体を張って止める人間でありたいと思います。
それが私の信心で学んだ大聖人の意であり池田先生の意であると確信する故です。
この仏法はどこまでも一人の人を大切にする仏法と習い信じて来ました。