投稿者:河内平野  投稿日:2014年12月11日(木)15時26分1秒    通報
昭和五十四年のあの日、あの時、わが愛する大切な弟子である関西の同志は、
若き日の私と同じ炎の心で、師子の如く、決然と立ち上がった。

「我々は先生の弟子や、こんなことで負けへんで!」

「今こそ団結やで。関西が先頭きって戦い勝ってみせる!」

わが偉大なる同志のその胸中には、前年、私が贈った学会歌「常勝の空」が鳴り響いていた。

♪今再びの 陣列に
君と我とは 久遠より
誓いの友と 春の曲
愛する関西 勇み立て

やがて関西の同志は、皆の総意として、雄々しき決意を高く掲げた。
――さあ! 今再び関西から次の十年を開くのだ。
そして、断じて常勝関西の歴史を残してみせる!

そこには、学会を覆う三障四魔、そして三類の強敵の暗雲を決然と破り、
絶対に勝ってみせるとの、私と広宣流布の責任感を共にしゆく、深くして壮烈な弟子の誓いがあった。

私が名誉会長として初めて関西を訪問したのは、
学会創立五十周年にあたる昭和五十五年の四月であった。

そのまま第五次訪中に旅立った私は、続いて九州指導を行い、再び大阪へ戻った。

そして、五月三日の「創価学会の日」を、私は、第二の故郷である大関西で迎えた。
私の築いた、私と生死を共にしゆく、私の真実の弟子が集まる常勝の大関西で迎えたのだ!

豊かにして壮麗な五月晴れであった。最善の常勝の空であった。

落成まもない新・関西文化会館は、遠くまた近く、永遠なる輝きを放つとともに、
広布の魂をひたむきに、精神の王者の如く形成されていた。
堂々と、青空にそびえ立っていた。