投稿者:信濃町の人びと  投稿日:2014年12月 1日(月)23時19分6秒    通報

 
長いですが、先生の講義の一部をそのまま引用します。歴史は繰り返すのです。

撰時抄 講義

一つは、慈覚の判断が、仏の経、竜樹の論、天台・伝教の釈という本来基づくべき正統な根拠ではなく、善無畏や弘法などの人師の誤った注釈に基づいている点です。

仏の仰せである経のとおり、説の如くに拝していく。これが仏法者としての肝要です。慈覚の判断は正反対です。仏に背く、師敵対の極みにほかならないのです。

もう一点は、太陽を射る夢を判断の決定打として用いたことです。

夢は奥底の心の反映です。大聖人は、慈覚の心の奥底に、「真言は法華経に勝る」と「造定めて」いたと、そのゆがんだ心根を喝破されています。

その心のゆがみは、何に由来するか。

慈覚は中国に渡って十年にわたり顕密の二教の勝劣を学び、天台宗の碩学たちに師事しながら、心の内に「真言宗は天台宗に勝れたりけり」と思っていたのです。

そして師匠である伝教に対して「師匠はまだ真言を習っていず、中国で長く学ぶということをしていながら、あらあらしか分かってない」と心の奥底で見下していたのです。

実は、師匠である伝教は、諸宗を15年にわたり研究して、法華経第一であると自らの智慧で悟って、その上で念のために中国にわたって法華経第一であることが正しいと確認していたのです。「法華は真言に勝れたり」というのが師の心です。

この師の心に真っ向から背く邪義を慈覚は立てたのです。

それは、自身は長く留学した、本場を見たという表面的な事実から慢心を起こし、師を見下したことが原因だったのです。

そして師匠が伝えなかった目新しい真言などの教えを説いて世間の評判を取り、「上一人より下万民にいたるまで伝教大師には勝れてをはします人なり」と思わせていったのです。
師匠を宣揚するのではなく自分の名聞名利を重んじていた。そこには報恩感謝の思いなどなく、
傲慢不遜な忘恩の邪心しか感じられません。大聖人も「言は伝教大師の御弟子とは・なのらせ給ども心は御弟子にあらず」と仰せです。

師である伝教は、万人成仏の法華経を根本とする法華宗を確立しようと生涯、戦いました。得一などの法華経の敵と晩まで戦い続け、
その生涯の結実として法華円頓の別受戒の建立が実現したのです。

慈覚は伝教の直弟子であり、法華宗の座主となったのですから、その師の心をこそ根本として法華誹謗を阻止するために断固と戦わねばならなかった。

慈覚には、師の精神を厳格に受け止める信心がないゆえに、真言密教の法華誹謗に安易に同調してしまったと断じざるをえません。

すべては慈覚の師敵対から始まったのです。その根本の狂いゆえに、伝教が一生にわたる闘争で確立した
「法華最第一」を、真の意味で深く理解できず、「理同事勝」の義に迷乱し、天台宗の真言密教に踏みきってしまったと考えられる。

慈覚は、一代聖教を顕示教と秘密教に分け、法華経は秘密教のうち理秘密であるが、印と真言が説かれていないゆえに、
事理具密の真言三部経には劣ると説きました。

しかし、まず、「理」について言えば、法華経の「一念三千の理」は十界互具を前提にしています。したがって、
法華経の久遠実成の仏のような十界互具の仏も、二乗作仏のような十界互具の成仏も説かない大日経では、
「一念三千の理」自体が成り立ちません。したがって、決して「理同」とはいえない。

次に、「事」について言えば、「理同時勝」の義における「事」とは、印と真言です。これは、仏・菩薩を象徴する手印等と呪文の言葉です。
仏・菩薩の手の形や言葉をまねれば同じことになるという、表面的な形式主義です。

本来仏教が求める身口意の三業による修行とは、全身全霊での仏道の実践です。仏の心をわが心とし、仏であればどう語るか、
仏であればどう振る舞うのか、それを考え、心に仏を思い浮かべながら、対話しながら、日々刻々と実践していくことではないでしょうか。

この一個の人間のたゆまぬ努力、そしてその一人一人の営みの集積によって築かれていく平和で幸福な社会・国土こそが本当の「事」といえるでしょう。

宗教は人間の幸福のためにあるのです。困難の渦巻く現実の中で、歯を食いしばり、嶮しき苦難の岸壁に爪を立てて乗り越え、
確かな幸福の軌道を開きゆく中にこそ、真実の宗教はあるのです。

この点を見失い、万人の幸福のために戦う仏法の根本精神を忘れて、形式や技術で取り繕おうとするようになれば、
その言葉や行動は、真言の印・真言、すなわち、まやかしの呪文や呪術に堕していきます。

どの思想も宗教も、現実の変革のために戦い続ける精神を失えば、すぐに形骸化していきます。
これは、よくよく心しなければならない点です。