投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月27日(木)08時44分54秒    通報
ここで、根本である御書を拝したい。
罪なくして、信心ゆえの諸難と戦っていた四条金吾に対し、日蓮大聖人は次のように讃嘆しておられる。

「設い日蓮一人は杖木・瓦石・悪口・王難をも忍ぶとも妻子を帯せる無智の俗なんどは争か叶うべき、
中中・信ぜざらんはよかりなん・すへ・とをらずしばしならば人に・わらはれなんと不便にをもひ候いしに」(御書一一六三頁)

――(舎利弗・目連・迦葉等でさえも、この娑婆世界で、末法に法華経を弘通する大難を忍べず、弘通を辞退した。
まして末法の凡夫がどうして法華経の行者になれようか)
たとえ日蓮一人は、杖や木で打たれ、瓦や石を投げられ、悪口され、権力による大難を受けても忍ぶことができたとしても、妻子をもった、仏法に無知な在家の人たちは、どうして耐え忍ぶことができようか。

かえって初めから信じないほうがよかったのではないか、
最後まで信心を貫きとおせず、しばしの間の信心であるならば、人に笑われるであろうと、かわいそうに思っていたところ
(大聖人の大難にも不動の信心をあらわされ、そのことさえ不思議なのに、
このように自分が脅かされた時も、二ヶ所の所領を捨てても、法華経を信じとおしますとの誓状を書かれたことは、
言葉では言いようがないほど立派なことである)――。

妙法を正しく行ずれば、必ず諸難がある。
在家の身でそれらに耐えられるはずがないと大聖人は思われていたというのである。
いわば、難は本来、当然、出家が受けるべきとされていたと拝される。

にもかかわらず、金吾は立派に大聖人の大難にお供し、自身の難にも揺るがなかった。
このお手紙をいただいた建治三年(一二七七年)七月ごろ、
四条金吾は、同僚の讒言等により、主君から法華経を捨てるという誓約を書くよう命令されていたが、
決して誓約は書かないと大聖人にお誓いした。
この御文は、その報告に対する御返事の一節である。

大聖人は、その不動の信心を、こよなく讃嘆されているのである。
在家の身で、よくぞここまで――と。

私ども創価学会は、在家の身でありながら、ありとあらゆる法難の矢面に立ち、
ありとあらゆる攻撃を受けながら、「広宣流布」の拡大を現実に成し遂げてきた。

その厳然たる事実は、だれ人が何を言おうと、どんな詭弁や策謀を使おうと、微動だにしない。
御本仏日蓮大聖人に讃嘆してくださることは間違いないと信ずる。

大聖人は、ここで
《最後まで信心を貫けないくらいなら、初めからやらないほうがよい。人に笑われるであろう》
とのお心を述べられている。

同様の意味の御文は、御書に数多い。
重大な意義のあるお言葉と拝される。
貫いてこそ信心、歩みとおしてこそ成仏、戦いきってこそ地涌の勇者である。

【第四十四回本部幹部会 平成三年七月五日(全集七十七巻)】