投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月20日(木)11時29分1秒    通報 編集済
さまざまな考えや立場、事情は当然あったであろう。
ただ一般的に言って、現実に、そこに救いを求めている人々がいる時、
かりに、へ理屈や権力、自分たちの威信のために、《薬》を与えない人々がいたとしたら――。
そのような権利は、だれ人にもないと私どもは思う。

ソ連では、すでに数百万の子どもに「生ワクチン」を使用。
小児マヒを克服していた。
一〇〇%の効果と言われていた。

しかし、当時の反ソ的な政治勢力と、法律(薬事法)をタテにした役所のカベ、
また、自社の薬が売れなくなることを恐れる一部の製薬会社の反対などもあったようだ。
ソ連のワクチンは、日本の母親たちの手に届かなかった。

広がる国民運動を前に、ついに役所も重い腰を上げた。
ソ連の「生ワクチン」を、一千万人分、緊急輸入することを決めたのである。

七月十二日。
モスクワから空路二十時間かかって、待望のワクチンは到着した。
その五日前、七月七日現在で小児マヒ患者は、この年、千四百十八人(死亡九十四人)。

七日には、私の故郷であり、当時住んでいた東京の大田区の多くの地域も、
「小児マヒ危険地域」(流行の恐れのある地域)に指定された。

ワクチンの到着後、約一週間で、全国での投与が開始された。
その効果はすばらしかった。
発病は、文字どおり激減。
急カーブを描いて、流行は沈静化していった。

一ヵ月後には《一人も患者が発生しない》状態になり、東京都の「小児マヒ対策本部」も解散。
まさに、目を見張るような「ワクチン」の効果であった。

幼児を持つ母親たちは、胸をなでおろした。
感謝してもしきれない気持ちであったにちがいない。

「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」ということわざが日本にはあるが、
苦しい時に助けてもらった恩を忘れては、人の道にもとるであろう。

この一点だけでも、私はソ連の人々に対し、日本もできるだけの援助をするべきだと思う。
また、もっと早く、ワクチンを輸入していたら、助かった子どもがあまりにもいたことも忘れてはならない。

ともあれ《薬》を求める切実な声を抑圧する権利は、だれ人にもない。
そんな無慈悲は人道の敵、人間の敵であろう。

【広布三十周年記念フランス総会 平成三年六月十八日(全集七十七巻)】