投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月15日(土)16時05分26秒    通報
彼を待つ妻と子どもたちのために、そして、祖国の自由と民主主義を勝ち取るために――この一念が彼を支えた。

一方、コリー夫人は、夫の投獄中、許された週一回一時間の面会を一度も欠かすことなく、
手作りの食事を携えて子どもたちと一緒に赴いた。

面会時間の延長にはマルコスの許可が必要とされたが、もちろん認められるはずがなかった。

初めての面会のとき、十キロ以上もやせ、憔悴の色をかくせない父の姿を見て、子どもたちは泣きだした。
しかし、彼女だけは、涙を見せなかった。
なぜなら、それが夫との約束だったからだ。

戦っていたのはアキノ氏だけではなかった。
逮捕された時、氏は夫人に二つのことを守ってほしいと望んだ。
一つは、子どもや公衆の面前では決して泣かないこと。
もう一つは、マルコスに決して自分の釈放を請わないこと。

彼は、妻や子どもが人に弱みを見せることを望まなかったのである。
彼女は、夫との約束をけなげにも守りとおした。
夫が銃殺刑を宣告された最高裁の法廷でも、彼女は涙を見せなかった。

そうした一方で、彼女は周囲の人には思いやりが深く、自分が苦しみの渦中にいながらも、
愚痴をこぼさず、かえって皆の良き相談相手になったという。

パーティーなどでも、寂しそうにしている人がいれば、彼女は進んで話しかけ、同じテーブルにつくように声をかけた。

しかし、胸中には絶えず不安と苦しみが渦巻いていた。
彼女は語っている。
「私はものが読めなくなりました。簡単なものしか読まなかったのに、何も頭に入りませんでした。
何も理解できませんでした。きっと神経過敏になっていたのです。
しょっちゅう腕時計を見ては、何が私に起こっているのかと考えました」と。

おそらく、彼女が涙を見せたのは、自分一人きりの時だけであったのだろう。
会見の席上、大統領は語っていた。
「夫は面会に行く私たち家族に何も贈るものがないといって、詩を贈ってくれました。
獄中では何も買えないかわりに、私と子どもたちに詩をつくってくれたのです」と。

私は、その美しい家族愛に感動した。

【第四十一回本部幹部会 平成三年四月二十五日(全集七十七巻)】