2014年11月14日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年11月14日(金)09時06分11秒 通報 一般公開されたモリエールの『タルチュフ』は、たいへんな評判をとった(一六六九年二月)。 大衆は拍手喝采を送り、その初日の興行は、彼の生涯最大の成功だったといわれる。 今なおフランス語で「タルチュフ」というと、「偽善者」を意味するほど有名になった。 ところが、この大傑作を、嫉み、気にくわない連中もいた。 本物の「えせ宗教家」、本物のタルチュフたちである。 じつは、劇『タルチュフ』が初めて上演されたのは、 一般公開の約五年前(一六六四年五月、国王ルイ十四世の前で催された)にさかのぼる。 もちろん、脚光を浴びた。 王たちも気に入った。 しかし、「えせ宗教家」たちだけは違った。 「この劇は、信仰心を侮辱するものだ!」。 彼らは、猛然といきり立った。 ごうごうたる非難と陰湿な圧力。 たちまち、上演禁止に追いこんでしまった。 まるで『タルチュフ』が大衆の目にふれるのを恐れるかのように――。 理由は明快である。 モリエールの劇が、あまりにも「真実」をついていたからである。 皮肉られ、嘲笑されているタルチュフに、彼ら自身の姿を見つけたからである。 その後『ぺてん師』と改題され、一度だけ公演されたが、 またも「えせ宗教家」の強硬な横ヤリのため、翌日には上演禁止(一六六七年八月)になる。 上演、朗読をすることはもちろん、見ても聞いても「破門」にする、と。 まったく正気とは思えぬ《お達し》まで出されるのである。 結局、『タルチュフ』は、天下晴れて大衆の前で演じられるまで、五年間もいわれなき迫害を受け続けた。 一つの劇でさえ、そうである。 いわんや大衆の正義の運動が迫害を受けるのは当然であろう。 一般公開されたモリエールの『タルチュフ』は、たいへんな評判をとった(一六六九年二月)。 大衆は拍手喝采を送り、その初日の興行は、彼の生涯最大の成功だったといわれる。 今なおフランス語で「タルチュフ」というと、「偽善者」を意味するほど有名になった。 ところが、この大傑作を、嫉み、気にくわない連中もいた。 本物の「えせ宗教家」、本物のタルチュフたちである。 じつは、劇『タルチュフ』が初めて上演されたのは、 一般公開の約五年前(一六六四年五月、国王ルイ十四世の前で催された)にさかのぼる。 もちろん、脚光を浴びた。 王たちも気に入った。 しかし、「えせ宗教家」たちだけは違った。 「この劇は、信仰心を侮辱するものだ!」。 彼らは、猛然といきり立った。 ごうごうたる非難と陰湿な圧力。 たちまち、上演禁止に追いこんでしまった。 まるで『タルチュフ』が大衆の目にふれるのを恐れるかのように――。 理由は明快である。 モリエールの劇が、あまりにも「真実」をついていたからである。 皮肉られ、嘲笑されているタルチュフに、彼ら自身の姿を見つけたからである。 その後『ぺてん師』と改題され、一度だけ公演されたが、 またも「えせ宗教家」の強硬な横ヤリのため、翌日には上演禁止(一六六七年八月)になる。 上演、朗読をすることはもちろん、見ても聞いても「破門」にする、と。 まったく正気とは思えぬ《お達し》まで出されるのである。 結局、『タルチュフ』は、天下晴れて大衆の前で演じられるまで、五年間もいわれなき迫害を受け続けた。 一つの劇でさえ、そうである。 いわんや大衆の正義の運動が迫害を受けるのは当然であろう。 【海外派遣メンバー、各部代表者協議会 平成三年四月十二日(全集七十六巻)】 Tweet