投稿者:河内平野  投稿日:2014年11月 3日(月)09時25分40秒

 
《殷の紂王》(紀元前十一世紀)といえば、中国古代の悪王の代表として有名である。
「異体同心事」など御書にも登場するので、諸君も名前を知っていると思う。

暴虐な彼が殷の王朝を自滅させることを、じつは、初めから見抜いていた臣下がいた。
小さな《兆し》を見逃さなかった、その名臣の名は箕子。

彼は、紂王が即位し、初めて《象牙の箸》を作らせたのを見て、嘆いた。
「象牙の箸を用いたら、もう普通の土を焼いた食器ではすまない。きっと玉の杯を作らせるだろう。
玉杯に象牙の箸となったら、質素な食事、衣類、住居などでは、とてもすむまい。
錦を重ね、豪邸を建て、何か足らないと遠方から取り寄せ、民からしぼり取り、どんどん華美になっていくにちがいない。ああ、行く末が恐ろしい!」と。

彼の予見どおりであった。
《象牙の箸》から間もなく、ぜいたくはエスカレートし、際限がなかった。
税金は上がり、民は苦しみ、ついに皆に見限られるにいたった。
民衆も、心ある臣下も皆、心でそむいた。
(王に批判的な者が出ると「刑軽きが故に反く者あり」として過酷な刑罰を設け、ますます人心は離れた)。

独裁者は、そうした人々の心すら、わからなくなるものだ。
自分のことさえ自分でわからなくなる。
皆が何でも言うことを聞くゆえに、自分を律する基準が見えなくなる。
紂王も、その一人であった。

「異体同心事」に「殷の紂王は七十万騎なれども同体異心なればいくさにまけぬ」(御書一四六三頁)

――殷の紂王は、七十万旗の大軍だったが、同体異心だったので、異体同心の周の武王に「牧野の戦」で負けた――と仰せである。

教学試験にもよく出題される、あまりにも有名な御金言である。
「同体異心」とは、形だけ無理に権威・権力でまとめ、取りつくろっている姿であろう。
見かけは一致しているようで、そのじつ、心はバラバラである。

皆、自分のことを中心に考えている。
従わねば、後が怖いので、格好だけ合わせている――真の「団結(異体同心)」とは正反対の姿である。

紂王のぜいたくと無慈悲。
だれもがその実態を知っていた。
とても尊敬はできない。
利害でついているだけである。

心は離れていた――王朝は滅んだ。
国の滅亡を《象牙の箸》一つで予見した箕子は、まことに「人間を知っていた」というべきであろう。

【第四回全国男子部幹部会 平成三年二月十七日(全集七十六巻)】