2014年10月23日 投稿者:河内平野 投稿日:2014年10月23日(木)09時35分59秒 アタイデ氏は、独裁者の性格について、鋭く分析しておられる。 「すべての権力者は、必ず堕落する。 手に入れる権力が大きければ大きいほど、その堕落も大きい。 独裁者は、その権力の目的を正当化するために、《仲間づくり》をするものだ」 悪の《仲間づくり》は、独裁者みずからが、最大の《臆病者》であることの裏返しであろう。 皆さまもよくご存じの、民衆への反逆者たちは、反逆者同士で《臆病者》の仲間をつくっているようである。 「しかし、その仲間の目的にも、だんだん違いが生じてきて分裂し、やがて独裁者は、孤独になる運命にある。 ブラジルの独裁者バルガスも、結局、最後は孤独な姿で、自殺の道を選んだ」 ヒトラーも自殺、イタリアのファシスト・ムッソリーニは銃殺刑。 歴史の目から見るとき、独裁者の末路は、あまりに哀れである。 さらにアタイデ氏は、《宗教の権威》を、人間の敵として、厳しく弾劾しておられる。 「聖職者という宗教的権力者は、宗教のドグマ性(たとえ事実に反しても教義を押し通すこと)によって、人間を精神的に逮捕したい、また奴隷にしたいと考えている。そしてドグマの道から離れようとすると、《異端》だと決めつける」 今でいえば、誤りを指摘する人に対し、《謗法だ》とか、《地獄に堕ちるぞ》《破門だぞ》などと脅迫することであろうか。 「ドグマに従うことは人生の視野を狭くするだけである。 独善や権威は、無限であるはずの、人間の知性に、有限の黒い壁をつくってしまう。 要するに、人間の創造的知性を全部、打ち砕いてしまうのである。 それはなぜか。 『宗教的権威への盲従』は、人間の堕落であり、惰性であり、怠け根性である。 狂信的に従うことは、自分の意見を失い、ついには人間でなくなってしまうことだからだ」 「ブラジルのことわざに『権威主義は母となり、師となる』とある。これは一種の皮肉である。 つまり権威主義というものは、(わがまま)母のように、すべての愛情を欲しがり、(わがままな)師のように、すべてを意のままに従わせたいのだという意味である。 しかし、本来、人間は、権威を否定する『改革者』なのである」と。 【第二十回婦人部幹部会、江戸川・葛飾・足立文化音楽祭 平成三年十二月十四日(全集七十九巻)】 Tweet