投稿者:解説員  投稿日:2014年10月20日(月)18時08分5秒
●ある時期から先生のご指導に明確な変化があわわれます。

補足としてこの事実を指摘しておきます。
●先生が学会の幹部を公然と批判し始めたのは、2004年3月に

野崎FKが亡くなってからです。

それ以前にも矢野とか竹入とか一部の幹部への叱責、叱咤、批判はありましたが、

これほどまでの激しさはなく、ここから批判のトーンが明確に変わりました。

ネジを巻き始めたと思います。

ご自身の体調面のこともあったことと推察しますが。

野崎FKの死去以降から「悪いのは、日達、日顕、北条、野崎だ!」

明確におっしゃいました。

徐々に竹入、矢野、秋谷へと進んでいったのはそれからです。
●最大の敵、矢野追撃の指示も2005年です。

先生のご指導を理解していれば矢野和解はありえません。

この一点で谷川と弁護団の背信、先生への裏切りは明らかで許してはならない痛恨の出来事です。

 

●先生は2010年で80歳になる時点において、公から姿を消すことを宣言していたわけですから

学会を永遠に発展させていくためには、真実を明らかにし、学会幹部の悪をたたきだす

姿勢を明確にされたのだと思います。

2009年の御指導では私が死ねばこのままでは学会が潰れるとまで発言されています。

そうなってはいけないから、公然と悪い幹部を批判しているとの意味です。

 

●信濃町さんが言われていましたが、87年の会合で既に

宗門、学会幹部、公明党が日本の三大悪であるとの指導があったとのこと。

また、全体の流れについてもすでに下記のような説明がされていますね。

 

●踊らされいる職員らしき書き込みをされている方、みっともないから辞めた方がよいよ。

 

●先生が復活されたとき、明確に仰っています。
昭和58年 インテレクト会にての発言。

○○と、悪い坊主をやつけるぞと宣言。
外も当然だが、内部と戦うと宣言

五重相対の後に、6番目の相対を確立された1990年からの10年間、
2001年を迎えるに当たって、2000年の暮れに宗門に対して大勝利宣言をした。

日顕宗門に対してのシアトル・芸者・遺骨、すべてに勝利宣言される。
創価新報の特別企画室と言う部署も解散。

2000年以降は次の相対へ行くよと。
2005年ごろ 先生はいよいよ内部に巣くう悪と戦うために、このように言われています。

宗門と学会の勝敗はついたと。その次に創価学会の中の悪と戦うよ!
創価学会の善と悪の戦いになるよ!

(54年のときは)
戸田の命よりも大切な創価学会が、このまま行けば昭和54年当時破門されちゃうと!
そうなったら創価学会がつぶれちゃう、公明党も潰れてしまう。
だからここは池田大作にストップをかけないといけない。
安易に池田先生よりも創価学会を取ったのです。(最高幹部が)
そして最後の最大の敵に、私(池田先生)自ら戦ってもいいのだがと前置きし、
最高幹部2名を呼ばれ悪との戦いを厳命された。(矢野追撃の指示)
原島とか山崎はぬいていますが、おおむね合っていると思いますが如何でしょう!