投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月19日(日)08時53分59秒
六、宗風改善の要求は当然の権利

「(宗門による一方的な登山方式変更による)売店の大打撃や、バス会社の副社長が自殺にまで追い込まれたことなど、大石寺の目の前にいる人々の生活を、宗門では、どう考えているのか。
これらの人々は本来、大石寺の門前にあって、宗門にとってもありがたい存在の人たちであったはずである」

「宗教とは、信仰をもとにしたものであって、企業ではない。
創価学会員は、日蓮大聖人への信仰を奉ずる信徒であって、《株式会社日蓮正宗》の平社員などではないはずである」

「信徒の代表たる総講頭の発言は、たいへんに重みのあるものである。
たとえ法主であろうと、信徒の総意によるものには、耳をかたむけるのが当然であろう」

「また、僧侶の金銭感覚の堕落、信徒蔑視の体質があれば、信徒がそれに対して意見を言い、宗風を正すよう要求するのは当たり前のことである」

「宗教においては、《変わらざるもの》は何か、《変化すべきもの》は何かを見極めることが大事だ。
すなわち、普遍性と特殊性をわきまえることが、宗教発展につながるのである。
カトリックにおいても、社会の多様化にともなって、現代という時代への対応、適応が必要になってきた。
現代では、独善的・閉鎖的ないき方は通用しないのである。
その意味で創価学会は、信仰の根本の部分は堅持し、普遍化しながら、布教の姿勢については、現代に適応させようと努力してきたから、今日までの発展を築くことができたのだと思う。
創価学会員が各地の旧い社会の因習を打破してきたように、宗門の僧侶たちが、みずから《広宣流布》に尽力し、血のにじむような努力をしていれば、この点も当然、理解できるはずである。
《日顕宗と化した》といわれる宗門の実態を見聞きするにつけ、驚くばかりである。
仏法でいう『増上慢』そのものの姿を現出しているとしか言いようがない」

【創価ルネサンス大勝利記念幹部会 平成三年十一月三十日(全集七十九巻)】