投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月15日(水)11時38分35秒
ネルーはこの本の中で、インド独立の父マハトマ・ガンジーの偉大さを、こう述べている。

「(ガンジーの登場は)旋風のごとくであり、多くのものをくつがえし、とくに民衆の心の持ち方を一変させた。
彼は天上から降ってきたのではなかった。
彼はインド幾千万の大衆の間から現れ出て来たという様子で、大衆の言葉を語り、目を絶えず大衆とそのすさまじい生活に向けていた」(『インドの発見』岩波書店)

すなわち、《救ってやろう》などと、相手を見くだした傲慢な心で、民衆と接していたのではない。
どこまでも同じ立場に立って、ともに悩み、ともに苦しみながら、人間の真実を見つめようとした。だから偉大なのだ、と。

戸田先生の姿をほうふつとさせる一節でもある。
人間はすべて平等である。
人を見くだす権利もなければ、人から見くだされなければならない義務もない。
この当たり前のことを、当たり前に実践してこそ「人間性」であり、そこに仏法者の根本精神もあると思うが、どうだろうか。

そして、ガンジーが、すべての民衆にもたらした、もっとも大きな《贈り物》とは何であったか――。

ネルーは、こうとらえる。
それは、《心の中に恐怖を宿すな。恐れるな。恐れることなど何もない》と教えてくれたこと。
軍や秘密警察、官吏、そして牢獄へと追いやる法律、それらへの恐怖の妄想を、「真実」を示すことによって打ち破ってくれたことであったと。

つまり「恐怖」の呪縛は「ウソ、偽り」によって生ずる。
「無知」と「恐れ」はセットになっている。
「恐れぬ勇気」は「真実を知ること」に基づく。
ゆえに「真実」をわきまえれば、「恐怖」は消え去るのだ、と。

真実を見ぬく知性に支えられた《恐れない心》は、精神を自由へと解放する。
そして、みずからの境涯を、どこまでもどこまでも、伸びやかに広げていく。
この《恐れぬ心》を、わが生命の中からわきあがらせていくのが、広宣流布への信心なのである。

【創立記念勤行会、第四回東京総会 平成三年十一月十七日(全集七十九巻)】