投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月12日(日)10時02分24秒    通報
ここで、ユゴーとトルストイを結ぶエピソードの一つとして、紹介させていただく。
ユゴーとトルストイ。

この二人の巨人の共通点は、いくつもあげられよう。
なかでも際立っているのは、二人とも《狂った独裁的権力によって抹殺されかかった》ということである。
すなわちユゴーは、時の独裁者、皇帝ナポレオン三世によって追放され、十九年間にわたる亡命生活を送った。

このルイ・ナポレオンは、ナポレオン一世(ボナパルト)に比べ、幼児性の強い性格であったといわれる。
権勢、金力への執着。

自分を強大に見せようとする「見栄」と、偉大なる人格への「嫉妬」――狂気の独裁は、多くの場合、独裁者の人間としての幼さ、小ささに由来する。

かたやトルストイもまた、かたくなに《権威》を守ろうとする教会権力から「反教会的である」と決めつけられた。
そして、時の大教院(宗務院)によって、一方的に「破門」を宣告されたのである。
一九〇一年、ちょうど九十年前の、今世紀開幕の年であった。

破門の年、トルストイは七十三歳。
牧口先生が獄中で亡くなられたのと同じ年齢である。
もとより、ユゴーもトルストイも、何ひとつ悪いことをしたわけではない。

ただ「人間のため」「民衆のため」「正義のため」に、だれも何も言えない《巨大な悪》に対して、言うべきことを言いきっただけである。

「悪」の言いなりになってはならない。
権力に飼いならされ、沈黙してしまうのは、人間ではない。奴隷である。
たとえ身は拘束されようとも、「魂は自由」であり「言葉は無限」である――。

「黙ってはいられない」
「私の生命の最後の瞬間まで」(トルストイ全集十八所収)と、トルストイはその心情を吐露している。

そうした正義の言論に対する権威者の答えが、
問答無用の「追放」(ユゴー)であり、「破門」(トルストイ)であった。

しかし、こうした策謀も、二人の《大いなる魂》にとっては何の問題でもなかった。

【全国青年部幹部会 平成三年十月二十七日(全集七十九巻)】