投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 9日(木)14時22分14秒    通報
以上、述べたことを前提にして、次に法難が本格化した時期の具体的経過にふれておきたい。
現実の状況にあまりにも多く通じる面があるからだ。

弘安元年(一二七八年)の五月ごろ、行智は、偽の御教書(幕府の命令書)を作った。
「法華経を信じる者は、重罪にあたり、咎めがあろう、と鎌倉より下知があった」と触れ回らせ、幕府の権威で人々を退転させようと謀ったのである。

大聖人は、すぐさま真相を見抜かれた。
直後にしたためられた窪尼への御消息(一四七八頁)に、このことが記されている。
その中で、
佐渡においても、三度にわたって偽の御教書が作られ、弾圧の口実にされたことを指摘され、今回の熱原の件も、同様の手口である、と教えられている。

当然、日興上人に対しても、その旨の御指示があったと拝察される。
大聖人の御指導によって、幕府の御教書が偽物であり、恐れることも、従う必要もないことが、信徒の人々に徹底された。
そのため、行智の謀略も、ほとんど効果がなかった。
悪の謀略に対しては、つねに本質をついた正しい情報を、広く人々に知らせる必要がある。
そのことによって、悪の意図をいち早く挫き、打ち破っていくことができる。

《閉ざされた世界》にだけ通用する《閉ざされた論理》で、いかに詭弁を繰り返しても、賢明な民衆はだまされない。
また社会的にも、良識ある人々の笑いものになるだけであろう。
それでは法を下げてしまう。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】