投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 9日(木)14時21分22秒    通報
日亨上人は、三位房について
「三位房と云ふのは下総出身の日行の事で御弟子としては老輩であり、叡山長時の学問の功も積まれてあるが、残念にも信行不足であった為に遂に師敵対謗法の悪道に落ちて死に方も悪かった」(同前)と。

「四五年も存命せられば、六老の第二位に必ず在るべき仁(人)」(同前)だったとも述べられている。

三位房は、日昭に次ぐ長老であり、日興上人の先輩にあたっていた。
京都に遊学し、竜象房を論破した桑ヶ谷問答でも活躍するなど、学才もあった。
法論に巧みで、門下でも重きをなしていた。
しかし、大聖人の御指示で、熱原の弘法の応援に向かったさい、三位房は、日興上人の先輩であり、格が上であるとの権威をふりかざし、指導しようとした。

三位房は教条的、観念的な説法はできても、民衆のなかへ飛び込んで弘法し、指導するという実践に欠けていた。
この傲慢で、権威主義的な本質は、賢明な庶民に見抜かれて、思うような尊敬を集めることはできなかった。
それに対し、日興上人は、身命を惜しまずに広布の道を開かれる果敢な実践と、優れたお人柄によって、人々に慕われ、尊敬されていた。
それを見た三位房は、自己を反省するどころか、日興上人に《嫉妬》し、瞋恚(怒り恨むこと)の炎を激しく燃やして、ついには憎しみをいだくようにさえなったようである。

そこへ、行智の誘惑の手がのびた。
三位房はやすやすとのり、師敵対の反逆者、広布の妨害者へと転落、最後は堕地獄の苦悩を受けることになる。
《やきもち》の心のスキ間に「魔」が入ったのであろうか。

「大悪魔は貴き僧となり父母・兄弟等につきて人の後世をば障るなり」(御書一四九七頁)
――大悪魔は、貴い僧となり、あるいは父母や兄弟などについて、人々の成仏の障りとなるのである――と大聖人は教えられている。

たとえ、地位の高い、尊敬される立場の高僧であっても、邪義に迷い、また嫉妬や瞋恚等の感情にかられて「正法」を見失った場合には、一転して人々の成仏を妨げ、広布を妨害する「大悪魔」と化す場合がある。

大聖人の仰せには、一分の誤りもない。
現在の問題の本質も、御書に照らせば、すべて明らかである。

また大聖人は、三位房等の退転者に共通する生命の本質を、次のように指摘されている。
「をくびやう物をぼへず・よくふかく・うたがい多き者ども」(御書一一九一頁)
――臆病で、求道心がなく、欲が深く、疑い深い者たち――と。

これは、自分を守るのに汲々として、広宣流布しようとか、和合僧を広げようとか、そういう思いはなく、貪欲で、猜疑心が強い人間のことである。
これまでの、退転、反逆の輩の言動を思い起こしてみれば、だれしも、なるほどと納得できよう。
また立場や役職が上であるほど、退転し、反逆した場合の影響は大きいし、その罪も、重く深い。

【関西最高協議会 平成三年十月十七日(全集七十九巻)】