投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 6日(月)12時04分9秒    通報
日蓮も、弟子も、大変な岐路に立たされていた佐渡流罪期。
これは最高権力者と日本仏教界の悪僧が結託して、日蓮を亡き者にし、日蓮と弟子を離間させる工作だったのです。

この佐渡期に弟子門下が退転に向かっていったのは、権力の迫害ももちろんそうですが、世間的幸福を失ってまで、日蓮の説く仏法を実践するつもりも、師匠と共に運命を共にするという覚悟もなかったからにすぎません。

佐渡に配流された日蓮のもとには、日蓮と苦楽を共にしようという本物の弟子だけが、命がけで指導を求めに行ったのだと思います。
そして逐一、鎌倉門下の状況を報告していたことが読み取れます。

日蓮は、鎌倉における門下の状況を聞かれ、弟子たちの心の奥低にある「日蓮への疑い」を晴らすことから始めました。
弟子にしてみれば、「法華経の行者・日蓮」と声高らかに広宣流布の指揮をとってきた日蓮に、あるべきはずの「諸天の加護」がどうしてないのか。
なぜ、佐渡に流されたのか、という現実に目が奪われ、仏法の本質が見えなくなっていました。
そこからくる「疑い」は、弟子にとっては当然の「疑い」だったのかもしれません。

日蓮はこの「疑い」を仏法の目からとらえ、根本的な問題提起をし、自問自答の形で解明していきます。
この問題を明らかにしないで、もし「それでも私は法華経の行者なんだ! 」と、強言してしまえば、立宗宣言以来、およそ二十年にわたって積み上げてきた日蓮の法華経身読の体験が崩れ落ちていくような状況にもなりかねなかったからです。

そして、この問題を真正面から見据え、さらに次の段階に進むために、佐渡の塚原三昧堂で「開目抄」を著されたのです。

「此の疑は此の書の肝心」(開目抄二〇三頁)と述べられ、日蓮は、「開目抄」の中でその「疑い」を明らかにしていきます。
佐渡流罪中の日蓮は、非常に厳しい生活を強いられていました。
佐渡期から続く師弟の信心は、私たちに何を問いかけているのでしょう。