第二次、河内たちはパルチザン部隊として戦った②

投稿者:河内平野  投稿日:2014年10月 2日(木)18時03分22秒

一九四三年三月、両軍はネレトヴァ河畔で壮烈な激戦を繰り広げた。
有名な戦いである。
どちらが勝つか――この勝敗で祖国の運命は大きく決する。

日本でいえば、規模は小さいが「川中島の戦い」を思い出す。
しかし、戦況はパルチザン軍にたいへん不利であった。
彼らは、兵隊として正式の訓練も受けていない志願兵の集まり。

一方、ナチス軍は近代的武器も完璧に整備されている。
不利なのも当然であった。

そのうえ、ヒトラーは「殲滅作戦」と称して、主力的な軍隊をそこに投入した。
一人も残らず、皆殺しにせよ――独裁者の絶対の命令であった。
おまけに、人民軍のほうは、チフスにもやられ、約三千から四千人の病人や負傷兵をかかえていた。どうするか――。

この時の模様を、ユーゴの映画「ネレトヴァの戦い」はこう描いている。
ネレトヴァ河畔は、うめき声で満ちていた。
雪は降りしきる。
敵はそこまで近づいている。
爆撃に次ぐ爆撃――皆、おびえきって、顔を地面に伏せるしかなかった。
このままでは全滅である。
祖国は、独裁者の奴隷になってしまうのか。
人民の自由は、もう永久に失われてしまうのか――。

その時である。
一人の足の悪い老人が、アコーディオンを力いっぱい弾き始めた。
そして「パルチザンの歌」を声高らかに歌いだした。
「立て!祖国の民よ・・・・」
「立て!わが栄光の同志よ・・・・」。
歌は戦場に流れていく。
絶望の底に沈んでいた人々、死を覚悟していた人々が、一人また一人と顔を上げていった。

【第一回静岡合唱友好祭 平成三年十月十三日(全集七十九巻)】